母が逝きました

母が逝きました

昨日8月8日早朝、母が逝きました。

母は幼少期から病弱で、私を生んで直ぐ心臓病で大手術をし、父の死後は病身を押して父の会社を切り盛りし兄と私を守ってくれた。苦労ばかりだったから、母親が幸せになれるように、自分なりに頑張っていたつもりで、結局、とても苦労を掛け、私のせいで傷付き、自分の思いばかりで何も出来て無かったように思う。

2019年の冤罪事件で、唯一、私の無実を絶対的に信じてくれたのは母だけだった。母が死んだら私も後を追うと言ってたので、何度も、瀕死状態に陥りながら復活しては、私を支えてくれていた。

酷い事が起きるのは、ある意味、自分が「どこかで間違っている」ことに気が付けという事に思う。私は、崎谷健次郎にストーカーなど一切していない。彼に何か悪い事をした事も無い。常に「彼の要望」に沿って私は最大限に善処したつもりだ。

しかし、母に対しては「間違った事をした」と思っている。あの事件で、確かに、私は「母に対しての間違い」を正したと思う。馬鹿で愚かで、それ故に、ズタズタボロボロになった娘に、最後に「自分の間違い」を正し、この4年、「母に許しを請う」時間をくれたように思う。私の母親は最期の最期まで「愛を与える人」だったように思う。私は事件後も自分のことで相当一杯で本当に最低レベルも出来なかった。それでも、抱きしめながら最期を看取れたことに深く感謝しなくてはと思う。

これで、本当に「たった一人」になった。私を本当に信じる人間はこの世にはもう誰もいない。私の「不可思議な部分」も含め、全て、受け止めて、許してくれる存在だった。もっとそばにいて欲しかった。でも、あの壮絶な苦しみから解放させるのが、愛する者の務めに思った。だから以前ほど追い掛けなかった。母も解っているようだった。愛する人を手放すとは何て辛いんだろう。最期は私が母を抱きかかえた。人工呼吸器が付いていたから、明確な時は解らないが、私の腕の中で逝ってくれたと思う。

今も、声を掛ければ目を覚ましそうな顔で眠っている。

これからどうすべきか全く頭が働かない。

母の居ない世界に耐えられるか自信がない。

 

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