母の納骨

母の納骨

母が亡くなって、あっと言う間に2カ月が過ぎた。四十九日は9月末だったので、本来であれば、その日に「納骨」するところだが、兄が「暑い時期は避ける」と言うので、今も実家に安置してある。兄は、若い頃から「親の面倒など見ない」と豪語していたし、母は常に「大病人」で何かあれば私が付き添っていたし、仏系銀行へ就職した後は同居もして面倒を見ていたが、2017年に汐留の職場復帰を視野に崎谷健次郎に「事実確認」に行き、その後、2019年の冤罪事件に発展したことから、最期の7年は兄が面倒を見ることになった。「最期は家で逝きたい」というのが母の最期の願いは兄と私と多分精一杯の努力で叶えたと思う。それでも、汐留の銀行へ復帰出来ていたら、私も経済的に十分な状況に戻れたし、母にもっと楽な生活をさせて上げられたのではと思う。一時と思って、兄の家に行って貰ったが、結局、引取れなかった。その上、2019年の冤罪事件で、崎谷と警察に冤罪を着せられ、その上、更に「警察の極悪非道な口封じ(精神薬漬けにして人間破壊)」にも遭い、「元の状態」に戻るだけでも数年掛った。結局、最期の数年は、私が母に面倒を見て貰って生き延びたようなものだ。母の写真を見る度に、申し訳なさで涙が込み上げる。結局、親不孝だったような気がして。毎晩、帰宅時に、母が私に向って手を合わせて「ありがとう」と言っていたが、私は「ごめんね。こんな事になってしまって」と、いつも謝っていた。

8月8日に亡くなってからも、自分の側に母がいるのを感じていたが、不思議と四十九日を過ぎた頃からか、気配が軽くなった。私が部屋で一人でいると、度々、母が亡くなった時の事を思い出して、パニックになって泣き喚くのを見せてしまったので、離れて行ったのかも知れない。人は死んだ後、次の人生が始まるまで、どこでどうしているのか解らないけれど、時々自分に付いて来た霊をあちらの世に送るために、大勢で読経を上げてくれるお寺に行って「見送り」をすると、身体からすぅ~と抜けてどこかへ吸い込まれて行くような感じを受ける。私は、人間レベルの魂は、エネルギー量が小さすぎて、単体では存続出来ないのではと思っている。だから、人間という自己発電装置(心臓)の付いたエネルギーを発する物体にくっ付くというか入り込むのかなと思う。一度、幽霊と一緒に暮らしていたことがあるが、夜中にベッドに一緒にくっ付いてくると、寒気を感じた。自分の熱エネルギーを奪われるとすれば、冷たく感じたとしても不思議は無い。休日に寺へ連れて行き「見送ろう」としたが、身体が残っている人だったので、付いて戻って来てしまった。私の力不足で助けられずごめんなさいと謝り、元の場所(身体のある場所)へ戻って貰った。母は、暫く、私の後ろに付いていたが、今は「軽く」なった。人は、死んだ後、どこへ行くのだろうといつも思う。

詐欺師にお金を取られた

母が急に亡くなり、経済的に大変な困窮状態に陥った事もあり、悲しむ間もなく早々に仕事探しを始めたが、精神的にやはり相当滅入っていたのだと思う。精神疾患を装った詐欺男にお金を騙し取られてしまった。私は、母親が非常に長く患っていたり、父もガンだったし、伯母は二人ともガンで最期を看取ったし、周囲に病人が多い人生だった。加えて、私自身も、警察に「精神病をでっち上げ」られ「口封じ」に遭ったが、精神薬から脱するのに地獄の日々を送ったこともある。実は精神薬の過剰投与で悪化しているケースは非常に多い。精神疾患の患者には大いに同情を禁じ得ない。

それで、その日は、仕事の面接を終え、御徒町駅付近のスーパーに行こうとして歩いていたところ、道端でうずくまっている男性が目に入ったので、声を掛けた。余計なお世話かと思ったが、夜8時近かったし、場合によっては救急車などの対応も必要な事もあるから。すると、その男が、「僕、パニック障害なんです」と言ってオロオロして私を見た。大丈夫ですか?訊くと、「自宅は南千住なんですが、今日少し支払いがあり、バスでこっちまで来たのですが、10万円入れて置いた財布をバスの中で落としたみたいなんです。バス会社に連絡したけど無いし、今、警察へ被害届を出しに行って来たんですけど、薬が切れてしまって、具合が悪くなってしまって・・・」という話だった。タクシーへ乗りたいがお金が足りないというので、少しお金を貸して上げた。

その男が「お給料が入ったらお返ししますので」というので、電話番号を交換したが、これが「手口」だったよう。家に戻って暫くすると、SNSでお礼のメッセージが送られて来たが、「お金が無くて今月どうすれば良いか判らない」と言って来た。この詐欺師は、病人を装って人の親切真に付け込む手口で、かなり悪質なので、別のブログに細かい手口を纏めたいと思うが、私は、こういう時に「相談する人」が、母以外には誰も居なかった。友人知人もいたが、母親が私の人生の最優先事項だったから、夜に誰かと電話で話すとか、頻繁に会うとか、一緒に遊びに行くとか、そういう親密な関係の人はいない。私は、常に、母親に相談していたし、「他人に親切過ぎる人間性」に母がストップを掛けてくれていた。

母が亡くなり、「人に親切にしてはいけない」と諭す人が居なくなったが、その途端、気が緩んでしまったよう。ただ、最初から人を疑て掛かるような真似はしたくないし、困っている人に「それ嘘くさいよねぇ」と言って見捨てて帰るというのも、気持ち的に出来ないし、「パニック障害(精神疾患)」で道でうずくまっていたしで、つい帰りのタクシー代を渡してしまった。

その後も、この1件を話す相手も無くで、その男から「水道電気代を払えない」とか「心療内科で薬を貰うのにお金が要る」とか泣き付かれ、少しお金を渡してしまった。運が良いのか悪いのか解らないが、今、非常な金欠状態なので、騙し取らたにしろ大した金額では無く済んだが、ある意味、その詐欺男は「迫真に迫る演技」だったかなと思う。それに加え、詐欺師とか人を騙す人間と言うのは、「話している事が、不思議と、まともに感じる」ような「不思議な魔力」のようなものがあるのかも知れない。一応、詐欺師かもと思いながら、母が居ない空白感からか、信じたくなってしまった。警察には徹底的に騙されたし、世の中、警察官が簡単に冤罪捏造犯罪者になる。解ってはいるが、精神疾患で苦しむような人間は、心正しい人間であって欲しかったし、信じたかったと思う。

それで、結局、某友人に「助けるべきか?」と相談したら、「それ、詐欺だね」という事で、「そうだよね。やっぱり」となり、「お金を取り返すの手伝おうか?」と言われたが、これ以上、関って、例えば、銀行口座を教えるとか個人情報を渡すとかになる方がリスクが大きいので、騙し取られた分は「自分の社会勉強代」だと思い、その分、バイトでも何でもして稼いで回収することにした。

それでも、その男から延々と電話とメッセージで「金の無心」が続いていて、先週は一気に10回くらい電話が鳴り、同じくらいのメッセージが入っていた。「連絡無いので心配しています」だって。本人が10月始めに給料が入ると言ってたのに、今日(15日)時点でも、まだ「お金が無くて苦しいです。貸して頂けないですか?」とメッセージが入って来る。

その度に、頭の中に、その男が「可笑しそうに笑う顔」が浮かぶ。多分、私への嫌がらせ半分と、そのまま返さず持ち逃げ出来るよう、私の方から連絡を絶たせるつもりだろう。世の中、警察も酷いが、匹敵する位に非道な奴もいるようで、かなり卑劣で巧妙だから、可哀想と思って引っ掛る年寄りは後を絶たないかも知れない。

 

一人では無理だと思う

私は、性格的にはとても男っぽいが、結局は、女でしかない。背も低いし、見た目も情けないほど「弱っちい」。こういうタイプの女性の場合、結婚もせず、彼氏も居なくてだと、色々なところで「ターゲット」になり易い。私は、崎谷健次郎から「虚偽告訴の脅迫」を受け、長い間、解決の仕様も無く、結婚もせず一人で来たが、職場でも趣味の場でも「虐め」などの「対象」にはなり易いと常に感じてきた。以前よりは「変わって来てはいる」と思うが、社会では、結婚している女性の方が社会信用性は高いと感じる。多分、何か問題が起きた場合、女性一人で戦うのと、夫が一緒に戦ってくれるのでは、戦闘能力的に大きな格差が生じるのは確かで、社会では暗黙の了解で、やはり女性独り者の方が軽く扱われ易いと思う。

主婦だと気が付かない人も多いかもだが、世の中、夫がいるだけで「守って貰える」ことは多い。特に、私の様に「弱っちい」感じの女は、今回の様に詐欺師の対象になり易い。今回の詐欺男は30代だと思うが、私の様な「年増の女」は「若い男に言い寄られたい」とでも思っているかと思う。なので、もう3週間近く無視しているが、未だに、「金の無心」を平気でしてくるのだろう。私の方は、お金の回収を諦めても完全に縁を切りたい「邪悪な人間」としか思ってなくても、相手は「私が気がある」と思っているので、白々しく電話を掛けてくる。それ自体が私への侮辱だとは気が付かない。

女性一人の場合、仮に騙したり攻撃したりしても、反撃は出来ないと思われるし、実際に、私一人では何も出来ない。2019年の事件にしろ、警察が冤罪を捏造しようと極悪非道な真似をしたとしても、私に夫か彼氏がいれば、そうした存在が私の「信用保証」をしてくれただろうし、警察に対して戦ってくれたと思う。私の自宅や携帯に「ストーカー電話」が掛かっていたのだから、「お前ら、発信元くらい調べろよ。このクソ馬鹿野郎どもが!」くらいは言ってくれただろう。警察が、発信元さえ調べれば、その時点で「ストーカー真犯人」は発覚したし、私があそこまで警察に卑劣な詐欺に遭う事も無かったと思う。

今、ようやく仕事を再開して、現状は経済的な立て直しが先決だが、私はこのまま一人で生きて行くのは厳しいと思っている。生活するにはお金がいる。そこは自分で何とかなるとしても、私の側にいて、今回の様な悪い奴から「守ってくれる人」がどうしても必要と思う。何かあったら、「夫に許可を取りますので」と言える立場になりたい。それだけでも、私の人生はかなり「安全」になると思う。

 

母が崎谷を待っている

 

私の母の納骨は当分先になるようだ。なぜこんな状況なのか良く解らないが、私は母が崎谷健次郎が謝罪に来るのを待っていると思う。江戸商人の伊勢屋今井では、冠婚葬祭は「謝罪に行く機会」としている。もちろん、怒った相手から怒鳴り散らされる場合もあるが、伊勢屋今井では「冠婚葬祭での謝罪を受け入れる」のが「しきたり」として代々伝えられている。それで、謝罪の場合は「練りようかん」を持って行く。これは、私の家では「常識」だが、今の時代は、そうした「粋」は解らない人が多いかも知れない。人と人の間では「仲違い」は度々起きる。だから、平和主義に徹していたかつての江戸っ子は「仲直り」の機会を生活の中に作っていた。私の母は、末広町の生まれで、江戸っ子の父の妻だから、崎谷健次郎が自分に謝りに来て、私と仲直りするのを願っていると思う。

私はとてもしっかり者で、仕事も大抵は上手く熟すし、一人でも全く問題無い様に見えるが、私は、母親のいない世界で、私一人で生きて行くのは無理だなと、今回の詐欺でもつくづく思った。強気でいても、母は「私の本来の姿」を見抜いて知っていたから、生前は、常に、私が人に騙されないよう、人に利用されないよう、それで一人で泣いてばかりいないよう、私の「監視役」になってくれていた。

私は、ついつい相手のことばかり考えて、結局、それで裏切られて、結果、自分が痛い目を見ることは多く、その度に、「貴女は優し過ぎる」とか「そんなにやらなくて良い」とか「人は貴方が思うほど、貴方の事を思ってくれない」とか、「馬鹿じゃないの」とか厳しい言葉を投げては、私が傷つかないように守ってくれていた。

私は、それでも、折々、自我を通してしまい、自分が痛い目を見て来た。崎谷健次郎のことも、警察の詐欺師刑事らのことも、相手のことを考えて、先に「信じる」方を選択してしまった。その結果が、これである。母親が、私がこんな「お人良しのバカ」だからか、いつも心配していた。崎谷健次郎の事も、非常に怒っているとは思う。だけど、母親は、私がどうあれば最も幸せかを考えてくれる人だし、私が最も望むことを知っているし、それを願ってくれる人だった。

だから、骨になっても、私の幸せを考えてくれるのだろう。だから、納骨にならず、今も、自分の家で、崎谷健次郎が謝罪に来るのを待っているのだろうと思う。それで、「自分」が理由となって、崎谷健次郎と私が「仲直り」することを望んでいると思う。

そして、母としては、「崎谷健次郎に私を守って欲しい」と思っているだろうと思う。それが、私が最も望んでいることだし、そうして生きるのが私にとって最も幸福な事であることは確かだから。

 

私は、自分のブログにも、事件サイトにも、崎谷健次郎の事も含め、かなり辛辣に、真相と真実を述べて来たが、崎谷健次郎の「長期の洗脳状態」を解くには真実と真相を崎谷健次郎自身が知る必要があったから。吉國は「邪悪な魂」が入り込んでる女だから、今回の事件の「えげつなさ」は半端ではない。洗脳状態の崎谷も飛んでも無かった。真実と真相を述べれば、それだけで「辛辣な批判」になるのは仕方ない。

だが、今度、会った時には、過去の事は過去の事として、特に何も話したくないと思っている。私は、多分、崎谷健次郎の顔を見たら、可笑しくて笑ってしまうだろう。余りにも「バカ丸出し」な真似をしたから。でも、事件の事も、過去の事も、特に話したいと思わない。だから、何も話さなくて良い様に、何があったかはブログで述べた。

その上で、私も崎谷も「過去を全部捨てた」上で、次に進めれば良いと思っている。

そろそろ、そういう時期では無いかと思う。「神様のシナリオ」としては、崎谷の課題は「自分の意思の力を確立すること」になる。音楽も父親がレールを引いた。恋愛も人生も吉國一己が全て支配して来た。そうして、自分の意思を捨てる生き方になった。私を選択するという事が、自分の意思で「私=音楽」を選択することであり、「私=崎谷」で結果「自分」を選択することになる。

そこから、崎谷健次郎の本当の音楽と本当の人生が始まる。そして、私という「福の神」の力を得て、人間としても、音楽家としても、大きく羽搏くだろう。本当にそうなるかは、やってみれば良い。私を信じられるかの問題。私を信じられれば、自分を信じられるだろう。自分を信じられれば、自然と道が見えて来る。

 

 

尚、もし謝罪に来なければ、私は来年木曽へ行き、前回同様に「穢れた者に修業の機会を与える」ように願おうと思っている。私は、今回、皆なに「恐れられる」危険を冒して、自分の秘密を公開した。崎谷には30年前に「私を痛めつけるな」と「他人を巻き込むな」と警告した。前回は、数年間、声が潰れた。今回は、前回に増して酷かったので、完全に失うだろう。二度と、嘘を吐けないように。ついでに、空から降って来た破片が手に刺さって音楽家として終わるとか。以前あったので。また、崎谷の運気を激落ちさせるので、関係する人間達も運気が下がる。業界もこれまで以上に下火になるだろう。それでも、私と母に謝罪もせず、図々しくもライブを遣るなら、やがてファンの人々がライブへ来れなくなるような災難がファンの身へ起きる。知らなかったとはいえ汐留では「虚偽告訴の脅迫」に加担したし、誹謗中傷へも加担した。本来は、私に謝罪を言うべき人々。ここまでの大被害を及ぼし「ごめんなさい」の一言も言えない男の歌に、この期に及んで拍手喝采するのであれば、それはそれで人間として悪質と思う。人として「心根を正す機会」を得るべきだろう。

その他の者達(警察の刑事らなど)へも「厳しい修業の機会」が与えられる様、心から願ってやろうと思う。他の誰かを二度と騙せないよう、二度と冤罪捏造出来ないよう、迂闊に危害を加えないよう、また、加える事がそもそも出来ないよう「自分自身が苦労苦悩の道」を歩めばよい。そうして、私を痛めつけた者ども全て、関わる者も含め、「今回の人生」が終わるまでに、人間として大きく成長できるよう、心から祈りを捧げてやろうと思う。そうして、人々が深い反省に至るのでれば、私としても自分の苦しみも「良し」として済ますべき。先日の詐欺男にも、同様の警告はした。私へ与えた苦痛の千倍程度の苦痛が返るよう、十分な修業が出来る様、詐欺男に付いても、心から祈りを捧げて来ようと思う。私に危害を加える所を見れば、何人騙してお金を巻き上げたか知れない。酷い人間だから私が選ばれる場合も多い。謝罪と反省の心が持てるようになるまで、徹底的に苦行すると良いだろう。

実際に、私の願いが通じるかは、これまで100%とは思うが、明確には証明出来ない。なので、自分の霊力がどの位強いかについて、サンプル実験させて貰おうと思う。私の気のせいかも知れないのだから。ただ、災難を得て苦労すると、誰もがとても良い人間になっているのは確かと思う。私は、多分、このジャッジを任されている気がするので。

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