袴田事件の再審

袴田事件の再審

先週久しぶりに英語の検定テストを受けて来た。留学し外資での就業経験もあるが、崎谷健次郎(正確には鶴崎江理子と吉國一己)による虚偽告訴の脅迫に耐えかね2014年には自主退職している上、「2019年の虚偽告訴事件」では警察に騙され「廃人寸前」まで追い込まれた。その後は母の介護も本格化し、結果、仕事では、かなりな年数のブランクが生じた。

母が久しく危篤状態なのに、亡くなった後を考えるなど有得なかった。母の死後は相当に困った事態になることは想定されたが、「再就職の準備」など考える事さえ耐え難かった。2017年に「長年の虚偽告訴の脅迫」に終止符を打ち、汐留の銀行へ復帰したいと思ったが、崎谷健次郎と鶴崎江理子(吉國一己)の悪だくみにまんまと嵌ってしまった。その上、2019年の事件では、嫌疑不十分で不起訴にも関わらず、警察の陰湿極まりない「犯罪隠ぺい」のお陰で、崎谷健次郎らに損害賠償を請求するタイミングを完全に逸した。

私の事件では、そもそも私が逮捕送検される必要など無かった。私には「長年のストーカー電話被害の証拠」があった。警察で発信元を調べるだけで、崎谷側の人物が「真犯人」として検挙されるはずだった。その点、検察は「法の番人」だなと思った。私の被害供述に基づき、捜査をしてくれたのだから。それで「嫌疑不十分の不起訴で無実」なのに、警察は有無を言わさずで、「不起訴理由の詐欺」と「真犯人の隠ぺい」に及んだ。本来「釈放日」にも関わらず、手錠とロープで拘束して、精神鑑定を強制。検察でも精神鑑定を受け、その上で無実なのに、警察ではなぜか「精神病」という話にされてしまった。私の事例は、「警察の精神鑑定は全く信用に値しない」という事の証明だろう。警察は、幾らでも「でっち上げる連中」だから。私の方は、2019年の時点で「27年間のストーカー被害」と「20年の虚偽告訴の脅迫」を受けていたし、刑事告訴、民事告訴をすれば、ストーカー行為だけでも、1年100万で見積もっても軽く2800万。虚偽告訴行為の損害賠償を加算すれば、少なくとも4000万以上の損害賠償が取れたと思う。

警察の担当刑事らは、自分達が私にやった事の意味を、僅かでも理解しているだろうか?

多少でも理解出来ていたら、個人的に「謝罪に来る」のが当然だが、結局、警察の刑事らは「威張り腐った」挙句に、自分の間違いについては自分を正す勇気も無いよう。「本当に腐ってるな。貴様ら。お前が妄想なんだよ。」と、私に冤罪自白を連日迫った刑事らに言ってやりたい。

結局、私は「本物のストーカー犯罪者」に人生を破壊され、現状は、かなりな経済難に陥っているが、これが、深刻な「犯罪に巻き込まれる」=「冤罪を着せられる」という事だと痛感している。今日の話題である「袴田事件」での「冤罪被害者」も、「冤罪」と言う深刻な「犯罪に巻き込まれた」結果、警察に人生を滅茶苦茶にされた一人だと思う。私は、検察が無実を証明してくれて、警察と犯罪者への「防波堤」になってはくれたので、無実で刑務所へ送られる悲劇は回避出来た。それでも、人生は徹敵的に破壊され、母親も寝たきりになり、経済的にも困窮した。私はやっていない以上、私がやった証拠は絶対的に存在しない。それでも、警察では、私の逮捕状が下りている。今も、どんな証拠で、私の逮捕状が下りたのか、一体なぜ、逮捕状が下りるのかが非常に大きな疑問である。警察に対する不信感と憤りは、今でも、全く消えない。私は生涯二度と警察を信用することは絶対に無いと思う。

袴田事件の再審

袴田さんに比べたら大した年数では無いが、私も20年近く「冤罪捏造」で苦しんだ「被害者」である。とても他人事とは思えない。無実にも関わらず、一方的に「犯罪者」にでっち上げられる苦痛と悲しみは、口では言い表せないほどの屈辱だ。袴田さんの場合は、突然、急に犯人にされて、そのまま刑務所行きにされてしまったのだろう。2019年の私の事件まで数十年経っているが、警察内部での「冤罪捏造体質」は全く変わっていない。

私は、長年の「虚偽告訴の脅迫」を解決するため、崎谷健次郎側の主張(私がストーカーだとするでっち上げ話)を完全に覆すに十分な「私の方の被害証拠」を何年も掛けて蓄積して準備した。普通であれば、逮捕など絶対に有得ない。ところが、それでも、警察によって「冤罪逮捕送検」されるに至った。

結局、警察の刑事らは、何一つ「私の被害」については耳を貸さなかった。崎谷健次郎と鶴崎江理子は、私の人物像としては、夜の仕事か無職の変人のように警察に嘘を吐いて被害届を受理させた。なので、警察からの最初の電話は「極めて横柄で無礼な口調」だった。それこそ「あんたさ」みたいな。私は朝の出勤途中だったが、それに非常に驚いていた。この時点で、崎谷らが嘘を吐いているにも関わらず、私をストーカーだと完全に決め付けた対応をした。

私の警察取調べは、送検後だった。逮捕後は、「ブログを書いた」と認めただけで、即、送検された。1時間も渋谷警察署にいなかった。その後は、送検後にも関わらず、警察の刑事により連日取調べと供述調書作成が続いた。手錠とロープで身体拘束。留置所内の窓も無い狭い密室では、担当刑事らは、私が何を言っても、「それは、あんたの妄想だよね。」で終わり、「やったでしょ。」「認めなさいよ。」を繰返した。検察と異なり、警察では、このご時世になっても、取調べは録画も録音もされない。だから、警察の都合で、いくらでも話をでっち上げられる。送検後に、冤罪自白させ、検察で一旦不起訴で釈放にさせた上で、不起訴(無実)にも関わらず、適当な理由で再逮捕する。その際に、留置所の密室で作成した供述調書を、さもその時に自白したかのように「捏造」して検察へ新証拠として提出する。検察としても、それを出されたら、起訴しない訳に行かなくなる。送検後の取調べ(供述調書の作成」では、取調べの内容が記録されないのだから、監査の遣り様もない。

というより、送検後の違法な取調べを継続する為には、警察では、取調べの録画も録音も導入されることは無い。
取調べの録画と録音が導入されれば、刑事が勝手に冤罪捏造出来なくなるから。これが、今も続いている警察の冤罪捏造の手口。

 

警察の取調べは以前は拷問だった

私は、それでも、令和の時代だったし、「警察は逮捕後48時間で送検が釈放=身体拘束での取調べは48時間以内」という「警察での捜査上の常識」も世間では、「刑事ドラマ」などで十分に周知が出来ている。知らないのは警察の刑事だけなのが警察の七不思議としか言いようが無い。

私の「冤罪捏造事件」でも「送検後」の「違法取調べ」ではあったが、私の時は、袴田さんがかつて受けたであろうような「肉体的な暴行」は無かった。

もちろん、無実の人間には「やりましたよね。」という言葉だけでも「言葉」による「精神的な暴力」にはなる。当然、精神的な傷は、今も深く、全く癒えていない。私は「20年の虚偽告訴の脅迫」には本当に悩まされ続けていた。その上で、結局、「他に自分の無実を証明する方法が無い」と判断した上だったので、刑事らの異常に執拗な「自白強要」にも最後まで屈せず耐えた。しかし、連日の様に、狭い個室に連れて行かれ、何度も何度も「やりましたよね。」と刑事に繰り返されている内に、「私のどんな行為がストーカーに相当するのか」⇒「もしかしたら私の行動はストーカーの定義に入るのか?」というような疑問も度々生じた。

警察では、こうした「トリックのような問答」を繰返して、無実の人間に「疑問を沸かせて」は「冤罪自白」に追い込んでいく。留置所では、突然、薄い布団で床に寝かされる。一晩中、明かりが付いていて、刑務官が歩き回る。私は1日2時間も眠れなかった。その状態で、検察の取調べで裁判所へ行かない日を狙って、連日、違法取調べが続く。私は20日間マックスで留置されたが、後半10日は、崎谷健次郎から申入れされた「謝罪と示談」の交渉期間だった。これは検察官が、私の要望を聞き入れて、「崎谷を、即、起訴」ではなく、「和解調整」を行ってくれた結果だった。

警察は、検察で和解調整の交渉をしている間も、私に対して「冤罪自白」の強要をしていた。担当刑事に、「検察で和解調整していて、崎谷健次郎の弁護士から正式に和解(謝罪と示談)の申入れがあったけど、この取調べって違法では?」と言ってやろうかと思ったけど、警察の冤罪捏造に遭うのは流石に人生初めてだったし、???と思いながら、そのまま「警察の刑事を観察して」みた。まさか、不起訴後に、精神病の捏造まで遣るほど「キチガイ」だとは思わず、検察での取調べの際に、警察でなぜ取調べを受ける必要があるのかを突っ込んで質問しなかったのが悔やまれる。

この時、検察に通知していれば、少なくとも、嫌疑不十分で不起訴後に、不起訴理由詐欺の上、精神病の捏造まで遣られる事は無かっただろうから。

私は、送検前に警察で取調べも供述調書作成も無かった。袴田さんの場合は、送検前から、徹底的に遣られたのだろうと思う。結局、逮捕後送検までの48時間に警察の取調べが限定されるようになったのも、袴田さんの時代のように、数週間、数か月、下手すると数か月や数年掛けて、延々と、自白強要を続け、拷問を続けという「警察の黒歴史」があるから。それで48時間では、冤罪自白には持ち込めないから、私の事例の様に、送検後に誰も見えないところで「違法取調べ」を行い、一旦、釈放後に、その自白を理由に再逮捕して、検察には「新しい証拠」の如く装って提出。起訴へ持ち込む手口が横行するようになったみたいね。大阪の大学生も、この手口で4回逮捕送検。3回は不起訴(無実)でも、4回逮捕されてる。

最近は、供述調書はPCで作る。「冤罪自白」が取れたら、釈放後に逮捕して、取調べの日付を送検前に変えて、「正規の取調べでの自白」として、検察に提出するくらい平然と遣っているという事だろう。

だから、虚偽告訴されて、結果、検察で不起訴(無実)の場合も、警察は、虚偽告訴犯罪者を敢えて検挙しない。日本の警察では、虚偽告訴犯罪は一切検挙されない。理由は明白。虚偽告訴罪での検挙を遣り出したら、不起訴で釈放の無実の人間を冤罪逮捕出来なくなるから。

それで、こうした事態は、かつて、紅林麻雄という「警察の冤罪捏造刑事」が現役時代に扱った500件以上の事件の中、「冤罪証拠の捏造テク」を警察で確立し、同僚や後輩に浸透させたのが、その後も、延々と是正されないまま令和の時代に至っても継続されて来ている証拠。袴田事件も、紅林麻雄の部下か息の掛った刑事らによる「冤罪証拠捏造」が原因と言われる。

袴田事件も、私の事例もだが、それで、結局、「本物の犯罪者」=「真犯人」は取り逃がしたということ。冤罪捏造に関係なく、警察による「第一次捜査の失敗」だということ。現状は、逮捕送検の8割以上が不起訴。起訴猶予も含めて、送検しない選択肢はあるのに、警察の刑事とすれば、紅林麻雄と同じで、送検で「点数稼ぎ」したいってとこでしょう。だから、私の事例の様に、「本物の被害者」を「加害者」にでっち上げて、証拠も無いのに、緊急逮捕送検。逮捕理由が、ブログの一文。飛んでも無い事が、ごく普通に行われている、または、ずっと行われて来たのが警察の実態としか言いようが無い。

 

検察は、警察に詰まらない忖度などせず、袴田さんを無罪にすべきと思う。

世の中の人には、一生かけても「無実を証明したい」気持ちは理解出来ないかも知れない。でも、長年「冤罪を着せられる屈辱と苦痛」を私は知っているから、死ぬ前に「絶対に無実を証明したい」気持ちは本当に良く解る。私は、自分の無実を証明する為に、結局、一流銀行でのキャリアも、歌手音楽家としての積み重ねも、単に人としての幸福も、全て捨ててしまうことになった。母にも迷惑を掛け、今は経済困難。

それでも、私は「社会的に無実を証明した」から、

私は、今、非常に清々しい気持ちでいられる。

袴田さんにも、生きている内に、その清々しさを味わってほしいと思う。

 

そして、何より、

検察は、警察による恒常的な「第一次捜査の失敗」を、今回の再審で指摘し、今回の再審を、警察の悪しき習慣を徹底的に是正する機会として欲しいと切に願う。

そもそも、警察の「第一次捜査の失敗」により、検察で「冤罪」が生れるのだから。

だから、袴田事件は、絶対に、無罪(無実)であるべき。

 

警察には、人の人生を扱っているという自覚が無いと思った。

私は無実だけど、罪を犯す人も、吉國みたいな「サイコパス異常者」もいるにしろ、それでも、やはり「一人の人間」として、相手の人生は常に考えて動くべき。それが出来ないなら、逮捕権とか捜査権は持つべきじゃない。

この点でも、私は、検察が、法律のエキスパートとして、犯罪捜査を主導すべきと思っている。

 

 

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