母の葬儀を終えて

母の葬儀を終えて

8月11日(金)、母の葬儀を終え、お骨を自宅へ持ち帰った。満で88歳。数えで89歳、あと2か月で90歳だった。そこまでは頑張れと思っていたが、8月8日の朝、本当に急に逝ってしまった。

私は「パワーストーン」と同様、「宇宙人」とか「スピリチュアル」とかも、基本的に信じていない。非科学的な発想は好きでは無いし、面相学の「けんけんTV」の冒頭ナレーションの通り、「皆を不幸にするものはスピリチュアル!」だし、「パワーストーンはただの石」だと思っている。

ただ、先日、ふと偶然目にしたYouTube動画で、今年は「8月8日」が、「ライオンズゲートのパワーが最大になる日」だったようだ。「ライオンズゲート」とは、占星術系スピリチュアル概念の一つの様だ。そして、今年のパワーの特徴は「強制終了」だったらしい。

「強制終了」とは、それまで長年どちらにも決着が付かず「滞っていた事態」や「清算できなかった関係」が、急にばっさり「終わる」とか、自分の中で、いつかは完全に「終わらせなくてはならない」と解っていて、タイミングが掴めず、中々「終われなかった事」や「切れなかった関係」を「完全に終了(手放す)」ことが、強制的に起きるのだと言っていた。

「ライオンズゲート」とか、「パワーストーン」以上に胡散臭いが、私の母と私の関係は、正に、そういう関係だったと言える。私の母は、長年、特にこの数年は、本当物凄く苦しんでいた。毎週の訪問医にも「早く(人生を)終わりたい。死ねる薬は無いですか?」と何度も言っていた。私にも「生きていて、ごめんね」とさえ言っていた。私は母に「まだ逝かないでくれ。お母さんが居なくなったら、私は一人ぼっちになる。耐えられる自信が無い。お母さんが逝ったら、私も後を追う。」と、その度に言っていた。

 

警察による「口封じ工作」-「不起訴理由の詐欺」

2019年の崎谷健次郎によるストーカー冤罪捏造事件で、嫌疑不十分で不起訴(法的無実)が確定後、渋谷警察署と本庁ストーカー対策室の刑事らに、不起訴理由の詐欺に遭い、釈放されず、精神病院へ強制拘束された。当然、不当であり、明らかな違法行為である。私は、渋谷警察署の刑事らが、冤罪捏造の事実を組織的に隠ぺいするために、私に「薬」を盛って、「口封じ」を図ったと思っている。兎に角、警察の「鬼畜」振りは尋常では無かった。

詳細は、別のブログで書くが、無実の人間の「口を封じる」ために、「治療」と称して、不当薬物の強制投与を行う手口は、中国共産党が「反政府主義者」を逮捕し、精神病院へ強制拘束して薬物投与で「口封じ」するのと全く同じ。私は、人生に致命的な打撃を受けた。

一方、刑事らによる「冤罪捏造」、「冤罪隠ぺい」、「犯罪隠ぺい」、加えて「被疑者の口封じ」、全てにおいて、警察内では「違法」という認識すら無い。こうした体質は、かつて「紅松麻男」という「冤罪捏造刑事」が、警察内部へ浸透させたが、未だに「冤罪捏造」が横行している証拠だ。「紅松麻男」は「冤罪自白」のために、被疑者に「殴る蹴る」の「拷問」を繰返していた。冤罪で有名な「袴田事件」も「紅松麻男」が担当した。「紅松麻男」の悪事が明るみに出た結果、警察では被疑者逮捕後の「取調べは48時間以内」となった。

だが、渋谷警察署の刑事も、本庁の刑事も、そんな「基本的法律」さえ守らないし、それ以上に、その違法性にさえ気が付いていない。なぜ「48時間以内」か、その理由も経緯も理解してないだろう。

警察も検察も、結局、昭和時代に、「紅松麻男」により、全国に浸透した「冤罪捏造体質」を是正できていない。検察は、警察の「冤罪捏造体質」を見て見ぬ振りで、送検後の事件管理が検察の義務という認識すら無い。だから、警察の刑事らが「送検後に冤罪自白の強要を連日繰返した」としても、全く気が付かない。

更には、検察は「不起訴で事件終了」との認識。一般事件であっても、一旦送検された後は、本来、事件の管理は検察に移行しているのに、検察は「真犯人の検挙」に向けて陣頭指揮を一切取らない。本来、検察の刑事が動くか、警察に「真犯人捜査」の指導指示をすべき。しかし、検察の第二次捜査情報の提供さえしない。それで、真面な犯罪捜査など出来るのかと思う。笑えるのは、こういう発想が警察には無い。検察も狂っている。

だから、警察では「不起訴(法的無実)の人間」が、何度も何度も「冤罪逮捕」され、結果、「冤罪」が生れるし、殆どの不起訴事件では、「真犯人が未検挙」のまま時効で終わる。結果、「未解決事件」が後を絶えない。実際、不起訴人員率は令和2年時点で、優に85%に達している。嫌疑不十分は約35%。3割強が「未解決事件」になる。これが、テレビやマスメディアでは一切表に出てこない「警察の実態」だ。

崎谷健次郎が自分の虚偽告訴犯罪にどう「落とし前」を付けるかは未だに不明だが、私がここまでの仕打ちを受けるという事は、この事実を表に浮上させ、全国レベルで、警察と検察に「正せ」と言わざるを得ない。崎谷健次郎も、私に謝罪しないのであれば、自分のキャリアを全て犠牲にしたとても、自分のやった「犯罪」の責任は取ることになるだろう。

 

警察の「冤罪捏造」による「私の被害」

当時、私は、何とか精神病院を脱出したが、2カ月以上に渡る「不当薬物の強制投与」で完全な「精神薬中毒」になった。ここから自力で「減薬と断薬」を行い、警察の動きを封じ込め、崎谷健次郎による虚偽告訴犯罪事件について「真相と事実の公開」に至った。しかし、「精神薬中毒」の「後遺症」で「耳鳴り」と若干の「記憶障害」が残った。

「記憶障害」は多少改善したが、「耳鳴り」は生涯治らない。「耳鳴り」の治療法は無い。3オクターブ歌手の耳に、24時間、セミの鳴き声の様な音が聞こえる。「渋谷警察」と「本庁ストーカー対策室」の刑事らがやった「冤罪捏造犯罪」で、私には、生涯、二度と、静寂が訪れることは無くなった。

それに加え、2019年の8月3日に、10年ほど、人工透析をしていた伯母が亡くなった。私は、渋谷警察の刑事らによる「口封じ工作」で「精神病院で強制拘束」されており、伯母の最期を看取るどころか、伯母が亡くなったことさえ知らなかった。当然、伯母の葬儀にも出られなかった。

あいつら(警察の刑事ら)は、事情聴取も一切せず、ブログの一文で、「完全に無実の人間」を緊急逮捕し、その後も、「冤罪」を着せようと「徹底的な工作」を繰返した。

警察が、被疑者の「口封じ工作」として「精神病院で強制拘束」する「悪質な手口」は、改めてブログにて詳細を伝える。しかし、ここまで読んだだけでも、警察の刑事らの「犯罪隠ぺい工作」の「極悪非道な手口」が尋常ではない事は、一般社会の皆様であれば、十分にお解り頂けると思う。

崎谷健次郎の虚偽告訴の手口も悪質極まり無かったが、それ以上に、警察は「真犯人の検挙」を職務放棄し、「真犯人未検挙の未解決事件」として時効になった。私の事件は、警察による多数の「未解決事件」がどうして起きるのかを示す「具体的事例」と言えるだろう。私が、事件サイトまで作り、ここまで抗議するのは、警察では、こうした「極悪非道な真似」を延々と繰り返されているからだ。

 

母親が唯一信じてくれた

冤罪事件の後、「ボロ雑巾」同然で戻って来た私を、母親が涙を流して、「良かった。無事戻って来た」と抱きしめてくれた。私は、薬物投与の上、犯罪者洗脳を受け、自分でも何が何だか解らなくなっていたが、母親には「私は悪い事などしない。ストーカーなどしていない。信じて欲しい」と言った。母親は、「解っている。あなたは悪い事などする人間じゃない。」と信じてくれた。当時は、母親以外の全員が、私を犯罪者扱いしていた。全員が、崎谷健次郎だけでなく、警察に騙された。

警察が騙さなければ、私は犯罪者扱いされる必要は無かった。あいつらの汚さは、生涯忘れようが無い。無念と憤りを抱えつつ、精神薬で、廃人同然になった。普通の人なら自殺しただろうと思う。

私は、母親にすがって、毎日、何とか、自殺衝動を抑えた。母親を「これ以上、悲しませてはいけない」という責任感で耐えた。その後も、私は笑いを忘れ、テレビや音楽も聴けず、本も読めず、それでも無理やり仕事に就いたが、精神薬の副作用で勤務出来ず、「クビ」になった。人生で最初の会社側からの解雇通達を受けた。不当な「精神薬の強制投与」が無ければ、崎谷健次郎の虚偽告訴罪で刑事告訴し、民事訴訟で損害賠償請求するところだった。

毎日毎日「もう生きていられない」と思うほど、最悪の状態が長く続き、危篤と小康を繰返す母親に、「お母さんが死んだら、私も後を追う」、「私を一人にしないでくれ」と泣き付いた。だから、母が、私が自殺しないように、ギリギリ限界まで頑張ってくれたのだと思う。だが、同時に、私の為に生きた分、苦しみ続けてしまった。

ここまで回復するまで、あれから4年以上も掛かった。今年は、ようやく「3オクターブ歌唱法の本」を出版し、歌の動画やブログも作り出し、私は「本来の自分」へ戻りつつあった。全て、母が、私を信じ、支えてくれたお陰だ。

母の容態は、先月、7月12日頃から急変した。それ以前から、ずっと、母が余りに苦しむのを目の当りにし、次に「危篤」となった時は、「私は引き止めないよ」と言っていた。あっと言う間にベッドから起き上がれなくなった。

こんなに早く逝ってしまうとは思わなかったが、近い将来の「永遠の別れ」を予見して、私は、早朝から夜遅くまで、母の側で過ごした。「引き止めてはいけない」と思いつつも、私は、出来る限り手を尽くした。それでも、母は、食べ物を度々吐いてしまうようになり、水も上手く呑み込めなくなって行き、どんどん痩せ細っていった。納棺の前に、寝間着から、昔よく来ていたドレスに着替えさせたが、抱きかかえると、身体は本当に痩せ細って小さくなっていた。

母の旅立ちには、イミテーションだが、大きな真珠のネックレスとイアリングを付け、青くなった指先も「付け爪」で覆った。「おくりびと」さんがお化粧をしてくれて、かつて社長として活躍していた頃を思い返すような華やかな姿になったと思う。あの世で、父に、「綺麗だ」と言って貰えるのではないだろうか。

「ライオンズゲート」-8月8日の強制終了

私はスピ系の話は大嫌いだし、「ライオンズゲート」が本当かは知らないが、「8月8日」に本当に「急激な変化」が起きて、どんどん脈が落ちて行き、オキシメーターの脈が止まっては再開を繰返し、朝には完全に止まった。本当に「強制終了の様な突然の別れ」となった。

母にとっては、逝くに「逝けない苦しみ」の終わり、私にとっては「失うのが怖い」という「執着」に対する「手放し」だったかも知れない。

こうしてブログを書いているのは、多分、私の「心の整理」のために思う。時折、死に際の苦しみあえぐ母の顔が、頭の中に浮かんで来て、思わず頭を抱えて叫びそうになる。自宅で家族が最期を看取るというのは、看取る家族には相当に厳しい光景になる。兄は脈が止まっても来ず、最期まで、暗い部屋の中、たった一人で、母の苦痛に悶える顔を見つめた。葬儀から数日経ち、こんなブログを書く程度に「自分は大丈夫」な感じがしている。だが、記憶が蘇ると、頭が破裂しそうになり、一人頭を抱えて悶える。

2019年の事件とコロナと母の介護で、ずっと働いて無かったから、経済的にも相当厳しい状況で、直ぐに仕事を始めないとならない。もちろん、初めから解っていた事だし、自分が「窮地に陥る」のを覚悟で、母の最期の望みを叶えられるよう生きて来た。私の人生は厳しい。私には心を休める時間さえ与えられないようだ。

偶々見たYouTubeの占いで、「周りの人に困っていると打ち明けて頼りましょう」と言っていた。「周りの人?」、笑える。私にそんな人が居たら苦労しない。占いってホントに笑える。それでも、8月8日は確かに「強制終了」としか言いようが無い。この不可思議はなぜ起きるのだろうか?

 

まだ、まともに食べれない。
それでも今朝も太陽は昇る。
その晴れやかな光が無性に悲しい。

 

母との写真

世の中の人間は、私の様な人間にも、全く何の容赦もなく、事実も確認せずに、誹謗中傷の嵐を浴びせかける。最も行い悪しきは、崎谷健次郎だ。何か問題が起きているなら、自分で勝手に思い込まず、私に直接確認すれば良い。

私の状況や気持ちや人間性も含めて、崎谷健次郎が、自分自身で、私に直接確認すれば、こんな悲惨な結果にはならなかった。

崎谷健次郎には、私の母の墓前に来て、謝罪させたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA