心霊体験ーその1:本物の心霊写真

心霊体験ーその1:本物の心霊写真

LGBTの話に関連して、魂や霊の話をするに当たり、思い切って自分が被写体となった心霊写真を公開しようと思う。世の中、その手の写真や怪談はあちこちに出回っているが、その多くが情報の出所も解らないし、本当かも不明と思う。結局、「誰かの話」であり、仮に顔などが写っていたとしても、写真や動画に顔を合成するのは、それ程難しく無い。私は、多分、95%以上は「偽物」ではないかと思っている。

一方、ここに公開した写真のように、私は、自分が「心霊写真」の「被写体」となることがある。私は周囲に霊が写り込み易いらしい。そう言われて、自分の旅行写真を良く見ると、何となく「顔が写っているような」写真もあるが、私は非科学的な事は嫌いなので、基本的に「気のせい」と思うようにしている。もし本物の心霊写真であれば、何かしら写り込んだ理由があるだろうし、逆に、何が写っていても、それが無いなら、心霊写真とは言えないように思う。

LGBTの話をするのに、なぜ自分の心霊写真を公開するのかは、以前「霊力がある」と言って、「精神疾患」とか「キチガイ」と「誹謗中傷」されたことがあるからだ。例えば、例の虚偽告訴犯罪者の音楽家には、「神道の行者」だと言ったら「狂信者」、「霊力がある」と言ったら「キチガイ」扱いされた。

私は、自分の経験を踏まえ、諸々考慮し、そう言っただけだが、魂の話をして、再び一方的な「誹謗中傷」を受けたくない。だが、実際に、私の心霊写真を見れば、単に「偶然」とは言い切れないと思うのも多少は理解して頂けるのではと思う。

本物の心霊写真

以下の写真は、私が21歳の時のもので、当時流行していた携帯用ミニカメラ「写ルンです」で撮影した。普通にシャッターを押すことしか出来ないカメラであり、ネガフィルムの時代。当然、加工など出来ない。これは「私の写真」であるので、ある意味、確実な「心霊写真」だと思う。

左が私。右が友人。私の右腕が写っていない。

この写真の話をすると、皆なが「恐怖の表情」になるので、これまで「四国へ行った友人」以外には見せたことは無い。霊能者の方などに伺うと、こうした写真は「直ぐお焚き上げしなさい」と言われるが、私は今もこの写真を大切にしている。なぜなら、ここの渓谷にいた「見えない方々(霊の皆さん)」に救って頂いたと感謝しているからだ。

あれから数十年が経ったが、いつかこの渓谷を訪ね、霊の皆様にお礼を言いたい。残念ながら、道中のどこかで立ち寄っただけで、具体的な場所は覚えていない。なので、写真があれば辿り付き易いだろう。いつか線香をあげ、般若心経くらいは謡いたいと思っている。

右手が写ってない

実は、私はバイク好きで、大学時代は400ccのオンロードバイクに乗っていた。20歳の記念に、振袖かバイクかで、当然の如く、バイクを選び、従弟が乗っていたスズキのGSX-RIII型を譲って貰い、大学にはバイクで通っていた。

翌年の夏、オフロードに乗っている友人に誘われ、四国一周のツーリング旅行に行った。その際に、途中で、ちょっとした「交通事故」に遭った。この写真は、その事故の6時間位前に撮ったものだ。

その日は四国のカルスト台地にあるユースホステルに宿泊を予定していた。写真を撮った場所は、道中で立寄った渓谷である。見れば解る通り、私の右腕は、ひじの直ぐ下から完全に消えている。

この時、腕を開いてポーズを取ったが、撮影時は完全に固定していた。その証拠に、ひじから下10cmほどはきちんと映っている。光の乱反射にしては、完全に途中から消えており、まるで後ろの川に腕を入れているかのようだ。不自然としか言いようが無い。

霊の顔?

今回、ブログで公開するに当たり、腕の部分を引き延ばしてみたが、腕の上側と左側に、男性のような顔が2つ3つ写っている感じがする。気のせいだと思うが、左上の顔を見ると、毎回、何となく「バクバクする」感じと左腕が痺れる感じがある。高齢の男性?に見える感じ?

四国は霊場が多いし、川には霊が集まり易い。川へ降りる前に、「少々お邪魔させて頂きます」と断ったので、怒られたのでは無いと思っている。それで、東京へ帰宅後、現像から上がって来た写真を、「霊感の強い人」に見せたら、他にも、後ろにあちこち「写っている」と言われた。

確かに「顔に見える」かもだが、人間とは頭で「景色から顔を合成し認識する」ものなので、写真をそのように見ないようにしている。いちいち怖がっていたらキリがない。ただ、この写真については、この渓谷にいた浮遊霊かも知れない。

渓谷での不可解な出来事

事故に遭った日の昼、ツーリング途中で偶然知り合ったバイクのお兄さんが、この先に渓谷があるので、川の水を沸かしてコーヒーを飲むから、一緒に来ないかと誘ってくれた。それで、友人と私とお兄さんの3人で、国道を逸れて、山道へ入り、道路わきにバイクを止め、車道のすぐ下を流れる渓谷へ降りた。

渓谷の岩場は流れの早い場所もあり、靴では危険なので、3人ともバイクブーツを脱いで素足になった。私と友人は、東京生まれの東京育ちで、清らかな渓谷に降りる機会など初めてだった。大き目な岩へ移動しては、綺麗な水の流れと空気と景色を堪能していた。

それで、私の後を追っていた友人に、素足とはいえ「岩が滑るから気を付けて」と注意しようと振り返った瞬間、その友人がステンと腰を付いて転んだ。水には落ちなかったが、岩の間の水貯まりに浸かってズボンがかなり濡れてしまった。

それを見て、「大丈夫?」と言おうとした瞬間、今度は、私が、全く同じようにステント転んだ。私は、その時、立ったままで、全く動いていなかったし、足元の岩も濡れていなかったが、たて続けに転んだ。気のせいか、誰かに押されたような感じがした。すると、その直後に、今度は、コーヒーのお湯を沸かしていたお兄さんも同じように、立ったまま、その場でお尻を付いて転んだ。

私は、3人たて続けに、少し不自然な転び方をしたので、川にいる霊の皆さんが「この川へ立ち入るな」という意味で、軽い「警告」をして来たのかと思った。流れの急な場所も多く、危ない場所ではあるので、「さっさと引揚げろ」という「親切なお知らせ」と思った。こういう場所では、誰か死んでいる場合もある。転んで水にでも浸かれば、次は「川へ落ちるぞ」という警告にはなるから。

ただ、そんな話を他の2人にすると怖がってしまうだろうから、「ここには余り長居しない方が良い気がする」と言い、コーヒーを入れて飲んだ後、早々に下山した。それでも、せっかく来たのだからと、友人が記念に写真を撮ると言い出し、二人並んで立ったところを、お兄さんが撮影してくれた。

バイクが止まった

それで、山道を下っていると、暫くして、私のバイクだけが急に止まってしまった。2人は先に行ってしまい、私だけが取り残された。一旦下りてバイクを点検したが、特に問題は無かった。首を傾げながら、エンジンを掛けると、そのまま動き出したので、ホッとして2人の後を追いかけた。

私は身長が154cmで、強引に400ccバイクに乗っていたので、停止した際に足が地面に届かず、バイクを倒すことは少なく無かった。四国のツーリングでも、何度か倒した。それでも、それまでは問題無く走っていた。あんな止まり方は初めてだし、その後は二度と無かった。その時は、倒して無いし、普通に走っていたし、なぜ止まったのか不可解に感じつつ、その時は「偶然だろう」と思ったが、更に、国道附近まで下りると、また、急にエンジンが止まってしまった。

渓谷での転倒も気になっていたし、何となく「背筋が寒い感じ」もあった。「誰か付いて来た」かなと思いつつ、私には特に珍しい事では無いし、ただ2度も止まって、今度はエンジンが完全に止まったので、「先へ行くな」とでも言いたいのかとふと思った。私は霊の声は聞こえないが、そういう時は、ふと「言葉」が頭に浮かんでくる。

私は、些細な「偶然の重なり」でも「誰かのお知らせ」かもと「可能性は考える」人間で、「偶然」でも、そういう「不可解な出来事」のお陰で、実際に、何度も難を逃れている。全て「偶然」で片付ける人は多いと思うが、特に「偶然」が重なる場合は、「大事な意味がある」ことは多いと思っている。

友人らが捜しに来てくれて、お兄さんが「エンジンオイルが漏れてる」のを発見してくれた。私は、ウインカーとハンドル交換用の小さいレンチしか持っておらず、オイル漏れの修理は出来ない。これは困ったと思ったが、ふと見ると数十メートル先にガソリンスタンドがあったので、乾燥重量180Kgの車体を押して向かい、緩んだ箇所を締めて貰った。直ぐに、無事エンジンが掛かったので、出発し、3人で暫く一緒に走った。

私の中には「なぜ止まったのだろう」という疑問が残った。

不可解な交通事故

私と友人は、途中から、カルスト台地の中腹にあるユースホステルに向って、お兄さんと別れた。8月初旬だったが、もう夕方で、山道へ入ると、辺りは一気に暗くなった。友人が先に走って私が後に付いたが、どうやらユースホステルが越してしまったらしかった。友人はオフロードバイクで、翌日からは別行動を取り、オフロード専用ロードで山越えする予定だった。その時、走っていた道の先には、小さなトンネルがあり、そこからは未舗装の山道が続いていた。暫くして、友人が、「これ以上先へは行けない」と引き返して来た。私もトンネル付近まで到着しており、私のバイクではそのままUターン出来ないので、一旦下りて反転し、再びバイクに跨り、友人の後を追った。

既にかなり薄暗くなっており、何となく「嫌な予感」がして、低速でトロトロ走っていた。昼に、渓谷から降りる際に、バイクが止まったので気になっていた。かなり山奥だし、行き止まりの道なので、ライトは付けていなかった。ただ、用心して、車道の真ん中を走っていた。周囲の木々が風でざわざわ音がするなと思った。次の瞬間、急に、白いバンが現れ、かなりなスピードで私の方に突っ込んで来た。かなり薄暗い山道なのに、ランプも付けていなかったので、直前まで見えなかった。私は、とっさに左にハンドルを切って抜けようとしたが、対向車のスピードが速くて、避け切れなかった。右のハンドル部分が接触し、そのままバイクと一緒に転倒した。あの状況で、右腕を損傷し無かっただけ幸運だったかも知れない。

白いバンが、私の後ろで、急ブレーキで止まり、焦った運転手が出て来て、謝罪しながら、バイクを起こすのを手伝ってくれた。四国のど真ん中の山中を、猛スピードで走っていたので、地元の車かと思ったが、ふと見ると「大阪ナンバー」だった。

話を聞くと、「大阪へ帰る途中」だそうで、道に迷ったらしかった。私に、この先は「大阪方面へ抜けているか」と質問して来たので、この先は、あと数十メートルで一般舗装の道路が終わっていて、完全な山道だから、車は入れないし、「大阪へ抜けるのは不可能だと思う」と答えた。運転手が地図を広げて、一般道としては記載が無いのを確認したが、ここから大阪へ抜けれると信じ込んでいたらしい。

当時は、車載ナビなど無い時代だが、国道からかなり外れた一本道で、山中の行き止まり附近である。なぜ「大阪ナンバー」の車が、「大阪へ帰る目的」で迷い込んだのか、その上で、「猛スピードで突っ込んで」来て、「私とぶつかった」のか、「偶然の出来事」にしては、条件が重なり過ぎていて、やはり奇妙に感じた。

だが、渓谷での転倒とバイクのエンジン停止で、私は「何か起きる」と予想はしていたので、この程度で済んで良かったと思った。ちょっと「遣られた」と思ったが、私が事故に遭った場所は、道幅がそこだけ広くなっていたので、衝突事故の多発する場所だったのかも知れない。所謂、地縛霊がいたのかもだし、地縛霊は自分の事故を再現しようとするようだ。私は、折々、親切なお知らせを貰っているので、事故に引き込む悪霊というより、「解る人」に「危ないからを皆に伝えて」というメッセージかなと思っている。私は、要人事手、かなり低速だったので大事に至らなかったが、普通に走っていたら、崖下に転落していた可能性は非常に高い。その場合は、多分、即死か大怪我になったと思う。

その日に行った渓谷で「不可解な事」が続かなければ、「何かがおかしい」という気分にはならず、ハングオンまで行かなくても、カーブに向って、普通に飛ばしたと思う。他の人の場合も、自分が事故死して、その場に留まっている霊が「危ない」と伝える前に、事故を起こす場合も少なくないのではと思う。

お礼参りの為に保管

その後も、1週間以上、四国のツーリングを楽しみ、フェリーで東京に帰って、旅行写真を、当時はカメラ屋に現像に出した。数日後に、ネガと写真を貰って、アルバムに整理していたら、この写真の右手が写っていなかった。

交通事故では、右側のハンドル付近が接触した。激しい衝突だったら、右腕は、調度、写ってない当たりから「切断」というような事態にもなったかも知れない。

当時は、心霊経験はそれ程本格的なのは無かったし、普通に、背筋が寒くなったが、私はこの渓谷の霊の人々に「事前に教えて貰っていた」ことで、命拾いをしたのだから、すぐに「警告頂いた事」に感謝し、いつかお礼参りに行くまで、自分の手元で保管することにした。

未だに「お礼参り」に行けてないので、手元に持っている。あの渓谷へ行き、きちんとお礼をしてから、必要なら、皆さんを引き連れ、四国のどこかのお寺で「お見送り」をしたいと思う。

私にとって、幽霊とは、単純に「怖い存在」では無く、「身体が無い魂」であり、身体が無いので形が見えない存在である。生きてるか死んでるかの違いだけで、基本、人間だと思っている。

今回、このような写真と実体験を公開することにしたが、もちろん、私の心霊体験や神霊体験はこれだけでは無いけれども、こういう経験をしているので、「魂や霊が存在する」と私は考えている。LGBTの話に入る前に、これが、1つめの前提についての理由である。心霊系の話は、物的証拠といえるものは、まず無いが、この写真は、私が「魂や霊が存在する」と考える根拠としては説得力になるのではと思う。

この写真の引用について

この写真を、どなたかがご自分のブログやYouTubeやSNSで紹介したい場合は、私、「今井貴水の体験」としてご紹介頂ければと思います。

この写真公開は、LGBTの問題について、自分の意見を述べるのが目的で、「怖い話」で注目されるために公開したわけでは無い。私としては、LGBTについては、以前から、色々思う事を述べてみたいと思っていた。ただ、私の話は、魂とか霊とかと切って切り離せないため、何か言えば「キチガイ」扱いされる危険性もあると長年躊躇していた。

しかし、今回、りゅうちぇる氏の自殺を受け、自分のアイデンティについて深く思い悩んでいる人がとても多いことを改めて実感した。私は多分「本当に変な人」かも知れず、また、折々、怖がられる事もある。だが、こんな人間なので「言える事がある」のかなとも思い、また、人を救いたいとの思いからなら、霊の皆様も写真を世間に晒すことを許してくれるのではと思う。

なので、ご紹介下さる場合は、「テキトーなおふざけ」で扱わず、私という人間の「本当の話」として、世間の皆様にお伝え頂ければと思います。

一方、今回、「拡大した写真」を見ていると、やはり「顔が見える」ようで、写真を見ていると、多少「胸がバクバク」して「左腕が痺れる感じがする」ので、「気のせい」ではなく、本当に写り込んでしまっているかも。なので、場合によっては、見た方に「霊障」のようなものが起きるかも知れません。

私を救って下さった方々なので、普通に見るのは「問題無い」とは思いますが、もしも気になる方は、神社に行って「祓いたまえ。清めたまえ」とお願いして下さい。それから、もしも万が一、何か起きても、この写真との関連は証明出来ないし、どちらにしろ、この写真を使う場合は自己責任でお願いします。

 

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