来週から仕事開始

来週から仕事開始

結局、「虚偽告訴の脅迫」は20年以上に及んだ。検察で無実を証明したが、それまでも、それからも、余りにも多くの事が起き、余りにも多くの苦しみがあった。母も逝ってしまった。私は何もかも失ってしまった。

しかし、今は、もう二度と「虚偽告訴の脅迫」を受けることは無いと心から安心出来る。本当に清々しい気持ちで、仕事の面接に行った。

以前の様に、仕事先で脅迫を受けることもない。虚偽告訴されることも無いし、警察に冤罪逮捕される心配もない。就業先にも二度とご迷惑を掛ける心配はない。

警察はやはり「何の役にも立たなかった」し、私の判断は全てに正しかったと思う。警察のお陰で甚大な被害を受けたが、それでも、あのままで死ぬまで「虚偽告訴の脅迫」と「ストーカー電話被害」を受けるよりは遥かに良い。

来月か、来週か、仕事は、もちろん、ごく普通の事務職である。以前の銀行の時の待遇と比べれば、給料も、月とすっぽんで物凄く酷い。アルバイト同然なので仕方ない。それでも、仕事に行けることが嬉しい。安心して外に出て、安心して人と関われることが嬉しい。今度、いちゃもん付けられたら、検察で無実は証明されていると胸を張って言える。涙が出るほど、嬉しい。

大きな重荷から、やっと解放された気分。

 


音楽を仕事にする必要は無い

私は「現実的な人間」だ。私は先祖代々「商売人の家系」であり、音楽家とも芸人とも縁が無いし、古い発想の我が家では「芸人=非人」であり、「芸で生きるは人の恥」とまで言われて育った。もちろん、今は時代が違うし、ばくち的で不安定要素が多いにしろ、大金が手に入る「悪くない職業」かも知れない。遣りたい人は大いに遣った方が良いと思う。

私は歌は歌えるし、ある意味、歌は極めているとは思うが、自分の客観的な評価として、私には音楽業界で普通に生活できるバックグラウンドは初めから無い。楽曲の製作は30代に入ってから開花したと思うが、だからと言って、楽器が弾けるわけでもない。手が小さいので、楽器は基本的に苦手である。歌手として、音楽家として、芸術家として、極めたいとか最高の作品を作りたいとか、そういう思いはあるし、そのようになるよう音楽を続けてきたが、お金にならない事は初めから解っている。

また、プロになると言うのは、自分の意思と関係なく、音楽を作ることになるし、それに見合う楽器経験は必須だし、才能と運と人に左右される厳しい世界。一時期、確かに、歌手を目指しタレントスクールに通った事はある。しかし、分離型の生産体制は崩壊していたし、35年前の時点でも、既に将来性のある職業では無かった。だから、私は常に大学を優先していたし、早々に見切って海外へ留学した。

ニューヨークで崎谷健次郎に会った時も、私はNYUで金融業界を目指していた。生涯年収を見れば、金融業界で成功した方が遥かに稼げる。ついでに、ユダヤの大富豪とでも結婚すれば良い。日本人女性は当時も大人気だった。着々と計画を進めていたつもりだった。私は、初めから、音楽を仕事にする必要は無かったし、客観的に見ても、仕事にすべきでも無いと思っていた。

 


日本に帰国した理由

ところが、急な腹痛で、日本に一時戻ることになった。すると、翌朝から、2週間程度の間に、15回以上、ほぼ外出する度に崎谷健次郎を目撃した。この男とは、余程、何か「強い縁がある」のかと思い、自宅の前に住んでいた崎谷とコンタクトを図った。しかし、この時も、ドラマーの馬鹿男に代理をさせ、「自分で直接出て来なかった」ので、私は早々に縁を切ってニューヨークへ戻った。

その後も、有得ない事故で「足に大火傷」を負わなければ、日本へ帰国することは無かった。私は、当時から、音楽ビジネスには「将来性が無い」と思っていたし、私の望みは「ごく普通に自分の家族を持つこと」だった。金銭欲も出世欲も食欲無かったし、地味に平和に「家庭」が持てれば十分だった。歌だの音楽だの趣味でお遊びで十分。

しかし、日本に強制的に戻ることになった。離れた途端だったこともあり、崎谷健次郎とは何か余程の「ご縁」があるにしろ怖くなった。それならという思いもあり、また、私は「自分の家族を作りたかった」ので、崎谷健次郎にコンタクトをした。だから、初めから、私の方から「結婚を申し込んだ」し、振られてすっきりした気持ちでニューヨークへ戻る為に、私の方から「婚姻届」を手渡した。家族になって欲しかった。私の欲しかったものは、常に「自分の家族であり自分とそっくりな子供だけ」だったので。

ところが、そういう話を手紙や書面に書けば、当然「ストーカー」だの「キチガイ」だのとなる。「連絡を下さい」みたいな手紙を出すのも危険だし、経済専攻としては、マーケティング的にも、「あの不倫路線は時代にはそぐわず、あの歌い方ではやがて声が破綻する」のは明白だったので、音楽とか歌とか芸術の話を手紙に書く様になった。私は注意していただけ。実際、不倫色が強過ぎて、公共電波では流せない曲は多いだろう。声も完全に潰してしまった。

 


芸能界いう世界

私は確かに歌が歌えるし、歌が好きだ。それは否定しようがない。だからと言って、プロ歌手になりたい訳では無い。プロ歌手は華やかなイメージがあるが、デビュー出来ても99%は売れない。残り1%でも、名前が出るのは運の良い僅かな数人で、仮にテレビに出て数年売れても、精々30代前半で終わり。

有名人と結婚したり、上手く展開出来た出来た運の良い数人は良くても、殆どが、飲食か水商売だろう。プロ歌手でも、スナックやカラオケで、お客さんとデュエットは珍しくない。私は、自分の趣味のために、そこまでのリスクは取らない。

崎谷健次郎は子供の頃から音楽ばかりで、他の業界も、世間を知らないし、何より、「自分の目や耳で事実を確認する習慣」が無い。結果、非常に「視野が狭い」上に、「洗脳状態」だから、私のことについても、吉國に「歌手になりたくて利用しようとしている」とか吹き込まれて、単純に信じたのだろう。言われた事を全て鵜呑みにしているようだから。だから「洗脳状態」は怖い。オウムもそうだが、「洗脳」されれば、平気で人を殺し兼ねない。崎谷も、何も疑わず、虚偽告訴した。

私の実家(商売人)や生立ちや私の学歴や経済学を好む頭脳などを考えれば、常に「投資リスク」や「商業リスク」を考え、「歌手」などという「ばくち性」が高く、「職業リスク」が高い職種を、敢えて積極的に遣りたいなど思わない人間であることは容易に想像付くだろう。「少しは頭使えよ」としか、言いようが無い。

だから、仕事としては、私は早々にIT業界でキャリア形成を試み、その後は金融業界へ転職した。音楽的なバックグラウンドも無いし、中高生からその道なら未だしも、私には、仕事として、他に幾らでも「優良な選択肢」があった。ただ、自分の作りたい曲が作れれば良かった。

正直、「虚偽告訴の脅迫」さえ無ければ、さっさと他の誰かと結婚していたし、音楽は趣味でお楽しみで十分だったし、会社も辞める必要も無かったと思う。

吉國一己は「ど田舎で育った女の子」だし、30歳近くで、一般社会で働いた事が一度も無い、単なる「究極の世間知らず女」だった。そのため、当初から「歌を歌える⇒プロ歌手になりたい」みたいな「極めて単純安易な思考」に至ったのかと思う。

しかし、私は「大都会の東京」のど真ん中、「湯島という花街」で色んな人を見て育った。近所には芸能界に友人知人の多い人も居て、「関わらない方が良い業界」だと何度も警告を受けた。当然、私もそう思っていた。だから、高校、大学と、銀座や渋谷など繁華街では、「モデルにならないか」と何度もスカウトを受けたが、その度に断り、場合によっては走って逃げていた。要は「危険な業界」だから。

 


ジャニーズの性被害

ジャニーズの性被害についても、郷ひろみさんが独立する以前から、芸能界に詳しいご近所の方から、私は色々と聞いて知っていた。女性アイドルについても、当然、「その手の営業方法」が「暗黙の了解」になっている事も聞いていた。

仮にデビュー出来ても、売れたら売れたで、CMのスポンサーを取るにしろ、楽曲の提供を受けるにしろ、映画やドラマに出るにしろ、何かにつけて「その手の営業方法」を要求されるのは、「買う側」としては「当然の欲望」になる。

ジャニーズは事務所内での同性による被害だったが、何処に限らず、誰に限らず、接待相手が女性の場合もあったろうし、そもそも、芸能界というのは、そういう「営業方法」で仕事が決まる様な業界とも言える。

当時から続いている「アイドル・スクール・ビジネス」も、今はジャニーズの男性アイドルの性被害の話題ばかりで、女性アイドルの性被害の方は大きく問題視されてはいないが、私は、女性の性被害の方が圧倒的に数が多く深刻だと思う。

アイドルで売れても、売れれば売れるほど「買いたがる人」は増えるのが世の中。仕事の為に「仕方なく」という人もいるだろうし、拒絶して引退しようとすれば、場合によっては、事務所で「借金」を背負わされ、AVの仕事に転落するというケースもあるよう。歌手、アイドル、俳優、女優など、制作側でない人間がターゲットに成りやすい。

ジャニーズの場合も、皮肉なことに「見込みのある人材」ほど、そうしたターゲットにされる。スポンサーが付けば「大きく売れる才能がある」からこそ、ターゲットになるし、本人も自分の可能性が解るから、断れない。私が高校大学時代、「おにゃん〇G」のオーディションでは、第二群のような女子が大量に採用になったが、プロデューサーやディレクターに「その手の要求をされた」という「うわさ話」は後を絶たなかった。ほぼ「ヤラれて終わり」。

女子の場合は、事務所や関係者が「手を出した」としても、稀に結婚に至るケースもある。余程のレイプ以外は、一概に、性被害が証明し難い。その陰で、そうした「スクール・ビジネス」が、「半分同意」とはいえ、一定数の性被害者を生んでいただろう事実は否定出来ないだろう。

そして、「アイドル・スクール・ビジネス」と「まともなオーディションの無い状況」が、今後も、「同じ被害」を生み出すのだと思う。

 


私にとっての「完成度の高い楽曲」

私は、芸能界のヤバい話を、中学高校の頃から、近所や、父の仕事関係の席で度々耳にしていた。また、「おにゃん〇G」の話は、実際に、そういう人の知人から聞いた。知人からではあったが、当時は、普通の高校生女子の耳に届くほどには有名な話だった。だから、私は、昔から、主催した人間が非常に嫌い。

今日、仕事の話のついでに、こうした話を書いているが、崎谷健次郎には、関わる度に、「プロデュースする気は無い」という「極めて無礼な言い草」をされて来たから。私からすれば、「そんな事を頼んだ覚えは一切無い」と言いたい。それで、2.5オクターブで曲作れるわけ?って感じ。

私は、音楽家として、歌手として、世界レベルで通用するような楽曲や歌を作りたいという思いはあったしあるが、芸能人になりたいわけでも、プロ歌手になりたいわけでもない。ただ、そうした「品質の高い楽曲」を社会に向って発信し、結果、それが自然に評価を受け、それで活動資金が生れるなら、それは有難いとは思う。その結果、芸能人と呼ばれ、プロ歌手と呼ばれるなら、それはそれだと思う。

しかしながら、プロ歌手になって「曲を売る」ために、楽曲を作って来た訳では無いし、崎谷健次郎にプロデュースして欲しいから、歌唱法の研究を続けて来たわけでも無い。それに、単に、プロ歌手になりたいのなら、自分で楽曲製作などせず、もっと簡単な楽曲を、他の音楽家にお金を払って作って貰えば良い。プロデュースも全て「お金」で解決する問題だろう。

私が自分で楽曲製作し、自分の歌唱法の完成させたのは、プロ歌手になりたいからではない。私にとっての「完成度の高い曲」を作り、そういう歌を歌えるようになりたかっただけだ。もちろん、崎谷がOKなら、崎谷の曲を歌う人材の育成には使えると思っていたし。それに、日本でプロ歌手になるなら、むしろ、新しい歌唱法よりも、2番煎じ、3番煎じで、適当に誰かの真似をした方が仕事としては展開し易い。

実際、今の様な時代では、個人が個人で楽曲を作って販売する時代。私も自分で作って、自分で販売していた。誰かに「プロデュース」して貰う時代でも無い。それで単純に売れる時代でも無い。仮にOKだったとして、私が、確実に「資金回収」し、かつ、十分な「リターン」を約束出来る保証は無い。迂闊に頼めることでも無い。それが常識ある大人の判断だろう。

 


虚偽告訴の脅迫で人生が滅茶苦茶

20数年程前に、崎谷健次郎の名義で「虚偽告訴の脅迫」メールを送り付けられ、その後も、職場の前でライブまでして「脅迫を続ける」始末だったため、2014年に「汐留の銀行」を辞め、この「脅迫」から完全に逃れるため、密かに動いていた。

もちろん、歌唱法の本の出版と楽曲も完成させ、諸々にケジメを付けたかった事もある。崎谷のHP連絡先へのメールは、かなり以前から「誰かが消去」して、私のメールは届いて居なかったようで、兎に角、不審電話の件も何度連絡しても、一切、返事が来なかった。2017年も同じで、ワンギリ電話ばかり。連絡の取りようが無いので、直接コンタクトを試みた。

結果、案の定、私に「ストーカー冤罪」を着せて来た。警察が「全く機能しない」ので、結局、2019年に「検察」へ持ち込み、私は「自分の無実を証明した」が、警察による「不起訴詐欺」と「冤罪逮捕隠ぺい工作」で、人生を破壊され、結局、「ストーカー真犯人の検挙」には至らなかった。

しかしながら、「無実の人間は無実である」ことは証明出来たし、事件サイトツイッターを通じて、世間の誤解も解けつつあると思っている。

結局、私の人生は「30年のストーカー被害」に「20年の虚偽告訴の脅迫」で滅茶苦茶になった。ずっと願っていた家族も持てず、当然、子供も持てなかった。不審電話攻撃も非常に深刻で、精神的にも本当に苦しんだ。

 


崎谷健次郎との出会いは「運命」

それでも、崎谷健次郎との出会いは「運命」であり、私の意思では「避けようが無い」ものであり、実際に、何度も「逃げた」つもりだったが、私自身も「運命に囚われた」のは一緒で、結局、避けようが無かった。

ただ、これまで起きた事は、結局は、私の意思で「崎谷健次郎との再会」を望んで来た結果であると思っている。だから、私は後悔はしていない。

そして、崎谷健次郎とは必ず再会することになるだろう。

我々はそういう「運命」であり、我々には我々が担うべき「役目」がある。崎谷健次郎が「自分の目と耳で周囲をきちんと見れる」ようになり、吉國による「洗脳」から脱すれば、「本来の自分」に必ず戻れるだろう。

そして、「本来の自分」に戻れば、自分が何をやるべきかは、もう解っているだろうから、自分から私に会いに来るだろう。我々が再会に至れば「多くのものを救う」ことになり、我々が再会できなければ「多くのものが失われる」だろう。

だから、崎谷健次郎は「再会」を選び「救う」ために努力をするだろう

世の中とは、救いが必ずしも救いではなく、失うことが必ずしも失うことにはならない。前者の方が当然苦しみは少ない。しかし、後者であれば苦しむほど学びは多い。日本も過去にそうして多くを学んだ。

日本人は今「100年前の課題」を突き付けられている。平和を貫くか、戦争に甘んじるか、前者を選べば「救い」が、後者を選べば「失い」が待っているだろう。私がその選択に何らか影響する以上、崎谷健次郎も選択を促す役割がある。日本は過去と同じ選択をしてはならない。だから、流れを変える必要がある。

崎谷健次郎は私との関係性でも、過去の過ちを正す機会が与えられている。崎谷は、今回「3回目の試練」を受けている。1回目は出会った年。私を愛しているのに自分に嘘を吐いた。2回目は20年前。私を愛しているのに別の女性に逃げ自分に嘘を吐いた。今回は3回目。本当は私のところへ戻りたいのに、これまでの「しがらみ」に執着し自分に戻れない。そして自分に嘘を吐いている。

自分に戻れないから、私を完全に「もう一人の自分」だと思いながら、私を肯定出来ない。私を信じられない。そして、自分を信じられない。

 


私は吉國一己ではない。

誰かの話と自分の想像で判断せず、自分の目と耳で自分で実際に事実を確認しろと思う。

私は、駆け引きはしない、嘘も吐かない、自力で生活出来るし、誰も利用しない。人を騙したり陥れたりも絶対にしない。私は善心を持って生きている。

崎谷健次郎は、完全に「もう一人の自分」だから、当然、私を騙したり陥れたりしない。自分で警察へ「被害届」を出しに行った事実が、私を苦しめていたのは「別の人間」だという証拠。私はそれを見抜ける人間。

私が「ストーカーなど遣らない」のと同じで、「もう一人の自分」の崎谷も「悪い事」はやらない。不審電話も「別の人間」だし、汐留のライブ会場が私の職場の前である事も本当に知らなかったかも知れない。もちろん、知っていたとしても、純粋に、待っていたのだろう。

ただ、崎谷側も、私の方も、ストーカー被害が有り、その真犯人は、結局、捕まっていない以上、崎谷健次郎が私にストーカーしていた嫌疑は消えない。自分のストーカー行為の隠蔽のために、被害者である私を加害者にでっち上げ、虚偽告訴した嫌疑も消えない。

結局、私に謝罪に来るしか、崎谷健次郎が「虚偽告訴犯罪者」という「自分の嫌疑」を覆す方法は何も無い。

この結果を目の当りにすれば、誰に騙されて来たかも理解出来たのではと思いたい。以前のブログでも「崎谷健次郎は洗脳されている」と何度も書いていたが、崎谷健次郎だけではなく、周囲の人々も、警察も検察も、世の中の人も、この結果を見れば、私が正しかったし、私が正しいということが、良く解っただろう

繰返すが、私の携帯への不審電話は毎年6月13日の「崎谷とNYで出会った日」に履歴を残す形で掛かって来ていた。毎年、何十年も。崎谷健次郎が掛けてないなら、吉國一己以外に有得ない。その日の意味は彼女しか知らないのだから。

結局、言い成りに騙されて、自分が「虚偽告訴犯罪者」となった。今後の音楽活動では、大手のスポンサーは絶対に付かず、売れれば、自分が起こした事件により、「罪を償わない犯罪者」であると世間から大バッシングを受け「完全自滅」「偽名で活動」しても、今の情報時代、売れれば、簡単にバレる。ビジネスでは、そんなリスクは誰も取らない。他の若手に依頼すれば済む。

崎谷健次郎は自分の置かれた状況を正しく理解出来ているのだろうか?正しく理解し、正しいアクションを起こすべきと思う。

 

私は、崎谷健次郎を愛している。その事実は、何があっても変えようが無い。最初から結論は出ているから、自分で結婚を申し込んだ。虚偽告訴された程度で消える愛情なら、私は婚姻届は渡さない。

そういう出会いであり、そういう相手だという事。
崎谷健次郎も、そろそろ、運命には逆らえない事を悟るべきと思う。

私の知る崎谷健次郎は「悪いこと」をしたら、きちんと謝れる人間だった。

私にも、世間に対しても、謝罪は義務だと思う。

そして、

私への償いは、音楽家として音楽で償って貰えれば良い。

 


悲しみは尽きない

部屋の壁に母の写真を掛けた。遺骨はまだ実家にあるので、毎日、お線香を上げに行く。遺影を見る度、「あんた、食べなさいよ」と母の声が聞こえるような気がする。

朝食は食べれるようになったが、スーパーに行く度に、これは母親と食べようと買った、これは母と食べた、これは柔らかいから母が食べれるとか、見るもの全てに母親を思い出す。それだけで、胸が苦しくなり、食欲が失せる。

近所の花屋の奥さんには「身体が半分になったけど大丈夫?」と言われた。自分では痩せた気はしてないが、以前のスーツを着たら、かなり緩かった。働き出せば、きっと、無理やりでも食べるようになるだろうが、この部屋で一人では何も食べる気が起きない。悲しみは尽きない。

以下の写真は、以前、隣のお年寄りに毎朝作っていた朝食。コーヒーはサイフォンで入れていた。母がまだ大丈夫だったし、この頃に戻りたい。

こんな朝食を一緒に食べる人を見付け無いとかな。

兎に角、今は、仕事を再開し、経済基盤を確保したい。オーディオ・インターフェースも壊れてしまったし、新しいのを買わないとならない。流石に、介護生活でお金が底を付きた。私は母の資産は全部放棄したし、本当に「何も無い人」になったと思う。それでも、これまで同様、ゼロから少しづつ歩き出そうと思う。母親が命を掛けて私を守ってくれたのだから。

生活の再構築が出来たら「ライブ活動」に向けて仲間を見付け、近い将来「人前に出て歌を歌いたい」と思う。私は、音楽活動と生活とは切り分けて、音楽では自由に自分の作品を作り、自由に歌を歌いたい。プロにならなければ、他人の評価も気にする必要は無いし、お金に縛られる事も無い。スポンサーの意向も気にする必要も無い。

それで、私を誰も知らない場所で歌って、私の歌を聞いて立止まってくれる人に、私に拍手をくれる人に、折々、「日本の名誉回復」を呼び掛けようと思う。歴史認識を改められれば、日本人に、日本人としての自信を復活出来るだろう。

だから、一人でも引き留められるよう、精一杯、歌を歌いたいと思う。世界の誤解が解ければ、必ず、新しい関係性が生れ、そこから、必ず、本当の信頼関係が生れるはずだから。

 

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