Crucify My Love 歌詞の変更点の解説
- 投稿者: Kisui Imai
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- 投稿日: 2023年6月24日
X-Japanの楽曲はメロディが美しいのでとても好きですが、英語の歌詞は少し「微妙」な部分があるようです。私は、一応、海外大学留学経験者で、外資系銀行にも勤務していましたので、文法とか意味とかはある程度きちんとしていないと、歌っていて???になります。私は音楽では歌が専門ですが、海外の楽曲もこれまで多数歌って来たことから、その経験と知識を生かし、失礼ながら、Yoshikiさんの歌詞を「Blush Up」してみました。
Yoshikiさんが「Crucify My Love」で描きたかったシーンを想像しながら、オリジナルの歌詞を出来る限り維持しつつ、歌いながら、メロディとの調和を何度も調整し、最終形に歌詞を仕上げましたので、英語の歌としてもNaturalな歌詞になったと思っています。
私は「芸術の世界では能力主義」であり、芸術家は「芸術作品の前に平等」と思っています。芸術家であれば、自分の作品を「より良いものにしたい」と常に模索しているものと思いますし、何年も経ってから「作り直し」や「作り変え」をすることも芸術家であれば珍しい事ではありません。「本物の芸術家」は常に「完璧」に向けて「折々の完成」を目指すものです。「十分な理由」のある「提案」であれば取り入れて昇華させますし、私の場合は、誰かの何気ないたった一言でも「自分の歌の改善」に役立てています。
私は、Yoshikiさんも、そうした「本物の芸術家」の一人だと思います。今回の私の歌詞の部分変更について、Yoshikiさんなら、この歌を歌いたいと言う私の思いをご理解下さると信じます。それだけ、この楽曲が素晴らしいと思っているからの行動だからです。
どうぞお許し下さい。
Crucify My Love(変更版) 1番
Crucify my love if my love is blind
Crucify my love if it sets you free
(I’ve)Never known
(I’ve)Never trusted
Still that love could have the colors?
Crucify my love
if (it) would have been in that way
Swing the heartaches, I feel it inside out
When the wind cries, I will say goodbye
Tried to learn
Tried to find
To reach out for eternity
Where is the answer?
Is that forever?
Like a tiny river flows to the sea
You’ve gone far away
and I will know
I will know I can deal with the pain
There’s No reason to cry
Crucify my love if my love is blind
Crucify my love if it sets you free
(You’ve) Never known
(You’ve) Never trusted
Still that love could have the colors?
Crucify my love
if (it) would have been in that way
私の愛を十字架に科せばいい
私の愛が盲目だというなら
私の愛を十字架に科せばいい
それで貴方が自由になるのなら
(私は)これまで何も知らずにいた(だから)
(私は)これまで何も信じずにいた
それでもそんな愛に「色」はあるのでしょうか?
(それでも「愛だった」と言えるでしょうか?)
私の愛を十字架に科せばいい
もし私の愛がそんなものだったなら
心の痛みが私の内と外で揺れるのを感じる
風が涙を流す時が来たら
私はさよならを言うでしょう
ずっと知ろうとしていた
ずっと見つけようとしていた
永遠(の愛)に行き着くように
答えはどこにあるのでしょうか?
それは永遠なのでしょうか?
小さな川が海へ流れるように
あなたはもう遠くへ去ってしまった
やがて、私は知るのでしょう
私は知るのでしょう
私がその痛みと向き合えることを
泣く理由なんて無いことを
私の愛を十字架に科せばいい
私の愛が盲目だというなら
私の愛を十字架に科せばいい
それで貴方が自由になるのなら
(貴方も)これまで何に知らずにいた(だから)
(貴方も)これまで何に信じずにいた
それでもそんな愛に「色」はあるのでしょうか?
(それでも「愛だった」と言えるでしょうか?)
私の愛を十字架に科せばいい
もし私の愛がそんなものだったなら
1番の変更点の解説
第1バース
Crucify my love if my love is blind
Crucify my love if it sets you free
オリジナルは、
英語歌詞は「Crucify my loveif it sets me free」
日本語訳は「私を自由にするのなら私の愛を十字架に科しなさい」
日本語だと、日本語訳の「不可解さ」を何となく「雰囲気で許せる」かと思いますが、英語の場合は思考論理に一貫性が必要です。「Crucify my love」は「命令形」ですので、「誰か」に向って「私を自由にするなら~しろ」は単純に意味が変です。ここは、日本語としては「私を自由にすることになるから」という意味と捉えるのが妥当かと。その場合、文章であれば「if」ではなく「because」が相応しい。ですが、最初のラインが「Crucify my love if my love is blind」で「if」なので、歌詞の纏まりとして「because(cause)」では「音の響きが悪い」。そこで、「if」形式を残し、意味を反映すると、男と女の関係では、「私が自由」=「貴方が自由」が成立するので、「Crucify my love if it sets you free」としました。
ちなみに、私を自由にするは、自分の意思や相手の意志であるなら、「let me free」と思いますが、「罪(犯罪=crime)」から自由になる(解き放たれる)=「釈放」という意味で、ある意味「強制的な自由」なので「set me free」にしたのかと思います。男女間ですと「離婚」ケースでしょうか?「法律的に解放される」イメージ。この辺りの表現は非常にロック的でカッコイイですね。
(I’ve)Never known (I’ve)Never trusted
オリジナルは
英語歌詞は「Never know Never trust」
日本語訳は「決して知ってはいけない。決して信じてはいけない」
ですが、命令形は「これから行う事(未来の事)に対する禁止」で、加えて、「Never」は動詞の原形の前では、「絶対に~してはいけない」という強い禁止の意味になります。一方、この歌は、「既に盲目とさえ言える恋愛関係があった(過去)」上での話なので、そもそも「命令形」が成立しない。また、2つめのバーズでは「Tried to learn」で「過去形」を使っているので、当然、ここも、過去の恋愛関係で、相手について「何も知らなかった」「何も信じなかった(信じられ無かった)」という意味が妥当。更に、冒頭が「命令形(現在形)」なので、こちらも時制を「現在形」に合わせ、尚且つ、意味としては「過去」を表すので、「I have Never known, I have Never trusted」で「現在完了形」に変更しました。
英語は「命令形以外は主語は必要」なので、ここではまず自分のことを回想するという意味で、「I have」とし、メロディと英語のリズムの調整を反映し、「(I’ve)Never known (I’ve)Never trusted」としました。
Still that love could have the colors?
Crucify my love if it would have been in that way
オリジナルは、
英語歌詞は「That love should see a color」
「Crucify my love if it should be that way」
日本語訳は「あの愛は一つの色を持つべきです」
「もしそれがあの道(方法)であるべきなら私の愛を十字架に科しなさい」
一般的に「should」は「~べきである」という意味で、ここから「当然~はずである」という意味が含まれます。日本の「~はず」とは少し強さが違います。あくまで「当然こうあるべきである」=「一般的な共通認識」があることが前提。
文中での「that」について
文法上「That」は前文中の「何か」を差すので、この「that love」の「that」は、そこまでの歌詞で語られた「Crucify」したい程の「酷い愛」になります。社会の一般定義的な「愛」では無いので「should」は不自然。尚、「that」は意識的に若干「距離感」があるものを示します。
ここでは、作詞家がオリジナル歌詞で何を言いたいのかを考え、「そんな愛憎関係にも愛があったのではないかと思う」という事ではと解釈しました。次のラインが「Crucify my love if it should be that way」となっているので、この2ラインを統合して考慮した結果、
Still that love could have the colors?
「そんな愛にも、「色=(愛と言えるもの)」があったのだろうか?」
Crucify my love if it would have been in that way
「もし私の愛がそんな状態だったのなら、十字架にでも何でも科して壊せば良い(壊しなさい)」
という内容で着地させました。既に「愛憎劇」が存在する関係が前提ですので、当然、時制は「過去形」になります。
「a color」と「the colors」
この「色」は「a color」から「the colors」にしました。「愛の色」としては、言い換えれば「愛の形(様相)」としては、恋愛には「私の愛」「貴方の愛」「二人の愛」と少なくとも「3つは存在」し、更には、ここでは単なる任意の1つの愛では無いので、冠詞は定冠詞の「the」が妥当。その上で「colors」で「複数形」にすることで、「様々な愛の様相(色)」を示唆しました。
「Still 」の冒頭追加
「そんな愛にも愛はあったはずと思う」と解釈すると、「愛が有ったのに、なぜ破壊するのか?」という疑問に繋がるので、「あったのだろうか」⇒「無かった」又は「有っても信頼関係さえ無かった」という「酷い状態」だったという意味へ転じさせました。前ラインとの関係上、逆説を示す言葉が必要であるため、「Still(それでも)」を冒頭へ追加しました。「Even」も使えますが、歌のフレーズの冒頭の言葉としては「Still」の方が綺麗に聞こえると思います。また、英語には英語の言葉としてのリズムと音程があります。「Even」はリズムと音程がメロディと合わない。ここは「Still」が入る事で文章全体のリズムが整ったと思います。
「if it should have been」か「if it would have been」
文法的に「命令形+if S+V」では、「if節」は「仮説」や「仮定」が前提。その場合、「if S+V」以下は、「過去形」が「現在の事象への仮定」を意味し、「過去完了形」が「過去の事象への仮定」を意味します。そのため、「あったはずと思う」=「あっただろうと思う」と、「過去」についての仮説の場合、「if節」では「仮定法過去」になります。必然的に「if it should have been」か「if it would have been」となります。
一方、「should」は時制は関係ないものの、「if節」であるので、「現在形」のままでは、現在か過去か、いつの時点の事なのか「不明瞭」になります。加えて、「should have been」には「当然~はず(すべき)だった」という意味が含まれます。男女の恋愛で「どうあるべきか解っていた」のであれば「Crucifyしろ」と言いたくなるような「破局」にはならないので、「if it would have been」で「もしそんな状態であったのなら」が妥当でしょう。
ちなみに、「if it should have been」の場合は、「当然(そんな状態)であるべきだったなら」となりますので、「that way」は「当然=肯定的」な言葉が続くべきです。そうなると「Crucify my love」という「破壊しろ」という命令と矛盾しますし、「Never trusted」な愛とも矛盾します。必然的に、「if it would have been」しかないでしょう。
in that way
また、「that way」については、前置詞が無ければ、「way」は名詞として「道、方法、手段」の意味合いが強調されます。ここでは、二人の関係が「そんな状態」だったなので、やはり「it is in that way」で状態を示す「in」が無いと、はっきりしたイメージが伝わらないと思います。という事で、「Crucify my love if it would have been in that way」としました。
第2バース
Swing the heartaches, I feel it inside out
When the wind cries, I will say goodbye
Tried to learn
Tried to find
To reach out for eternity
Where is the answer?
Is that forever?
上記第2バースは、オリジナルは「Swing the heartache」ですが、「heartache」を「単数形」から「複数形」に変更。日本語では単数も複数も関係なく伝わりますが、このラインは「倒置形(V+S)」になっているので、主語が単数であれば動詞の「Swing」が「Swings」になります。一方、フレーズ内で「z」音は余り綺麗では無いので、また、「心の痛み」は自分の内側と外側で揺れているものの、1つの痛みが進行している状態(進行形)では無いので、「折々の痛み」という意味が含まれることから、「heartaches」で複数形にしました。複数形の方が「様々な痛みが込み上がる」感じが出ると思います。「Crucify(潰滅)」したい程の「数々の苦痛」という意味では「複数形」と思います。
また、「Tried to learn」は、単純な「過去形」では「動作が終わってしまう」ので、今まで「私が努力した来た」という意味を込めて、「現在完了形」の「I have」 を付けて歌ってます。主語を曖昧に「ve」音が聞こえる感じに歌い、私か貴方か私達か、誰が努力したかは微妙に不明瞭にしていますが、文脈的に、この歌を歌う「私」であると伝わるように。この辺りも、英語の歌を歌う上で、「歌詞の扱い」として習得すべき大切な技術だと思います。
第2バースは最後の「Is that forever?」が非常に重要な問い掛けになっていますが、オリジナルでは「Is this forever?」となっています。文法上、「That」は前文の内容の何かを差し、「This」はこれから述べる事を示唆します。例えば、これから料理方法を述べる場合、「This is the way how to cook it」となります。この場合は、永遠なのか?は、前ラインの「the answer」になるので、「that」になります。
第3バース
Like a tiny river flows to the sea
You’ve gone far away
and I will know
I will know I can deal with the pain (and that)
There’s No reason to cry
上記第3バースは、オリジナルは「Like a river flows to the sea」で「どこかの一つの川」が「海に流れる」という意味で、「You will be miles away」の歌詞との繋がりが微妙。要は、海に流れる川であれば、河口の川も川であり、「miles away(何マイル)も離れた遠くにいる印象にならない。そのため、「a tiny river(小さな川)」にすることで、「山岳部の源流に近い小さな川が流れ流れて海に注ぐ」イメージで距離感を演出。また、「miles away」は「mile」が距離の単位を表すため、同じ距離間でも「道路上」の距離感、要は、都市と都市などが離れている感じで「具体的過ぎる」ので、この歌詞のモチーフである「Crucify」という単語の持つ「格式」に相応しくない感じがします。そのため、むしろ単純に「far away」にして「広がり」を持たせました。
また、「You will be miles away」の時制は「未来形」ですが、この歌詞の成立時点で、二人には既に「Crucify(潰滅したい)」ほどの「辛い恋愛関係があった(過去)」上での話なので、本来は、過去形であるべき。一方、次のラインが「I will know」で「未来形」になっていることから、現在も続いている感情や状態といえるので「現在完了形」が相応しい。必然的に「You have gone」か「You have been」。ですが、「be動詞」にすると、「You have been there」で、どこかに「居る」感じが強調されます。感覚的に離れていても居る感じ。一方、「Crucify(潰滅したい)」ほどの「酷い愛」では、相手が完全に自分の心の中から遠く離れたと言えるので、今「こには居ない」感じを強調するため、「去って行った」=「You have gone」が妥当。「You have gone far away」で、物理的にも精神的にも、どこか遠くに去ってしまった感じを付加しました。
「No reason to cry」は、英語の意味とリズムから「There’s」を追加し、「涙を流す理由など今は無い」ことを、「I wil(やがて)know」で、「私は知るのでしょう」または「知ることになるのでしょう」という動詞の目的節(目的語)と解釈しました。「There’s」を歌わなくても、ここは意味が通じますが、英語のリズム感を出すのには「一瞬食う」必要があり、入れた方が歌の流れとして自然ですし歌い易い。
第4バース
Crucify my love if my love is blind
Crucify my love if it sets you free
(You’ve) Never known
(You’ve) Never trusted
Still that love could have the colors?
Crucify my love if (it) would have been in that way
第1バースと基本同じ。「Never known, Never trusted」の「主語」をここでは「貴方が」又は「貴方も」という「示唆」が生れるように、「You’ve」をフレーズの最初にさり気なく発音しています。
Crucify My Love(変更版)ー2番
Till the loneliness gives the shadows to the sky
I’ll be sailing down and I will know
I’ll know I can clear away the clouds
Oh, was it a crime to love you?
Crucify my love if my love is blind
Crucify my love if it sets you free
Tried to learn
Tried to find
To reach out for eternity
Where was the answer?
Is that forever?
Crucify my love if it sets us free
We’ve Never known
We’ve Never trusted
Still that love could have the colors?
Crucified my love
‘cause we were in that way
孤独が空に影を落とすまで
私は大海原を船で彷徨うのでしょう
そして、私は知るのでしょう
私は知るのでしょう
私がその雲を払いのけられることを
ああ、あなたを愛することは
罪だったのでしょうか?
私の愛を十字架に科せばいい
私の愛が盲目だというなら
私の愛を十字架に科せばいい
それで貴方が自由になるのなら
ずっと知ろうとしていた
ずっと見つけようとしていた
永遠(の愛)に辿り着くために
答えはどこにあったのでしょうか?
それは永遠なのでしょうか?
私の愛を十字架に科せばいい
それで私達が自由になるなら
私達は何も知らずにいた(だから)
私達は何も信じずにいた
それでもそんな愛に「色」はあるのでしょうか?
(私は)わたしの愛を十字架に科した
私たちは(所詮)そうだったから
2番の変更点の解説
第1バース
Till the loneliness gives the shadows to the sky
オリジナルは、「Till the lonliness shadows the sky」で「shadows」を動詞として使っています。このままでも意味は通じますが、「空に影が生れる」理由として「孤独」があるので、文章として「動き」を出した方がドラマティックです。「影とは、物体に光が当たり」生まれます。要は、ある物体が「影を作る」ので、英語的には、他の物体に「影を与える」となり、「gives the shadows 」となります。「give+目的語 to 他の物体」となり、「空に」となるので「to the sky」となります。
ここは、私の解釈としては、「孤独の涙を生む雨雲が空を暗く染めるまで」で、次のラインが「I’ll be sailing down」で「どこまでも海を下って行く」=「岸辺から離れる」=「さ迷う」イメージで、これからも、海をさ迷って、空が真っ黒になる時が来る。空が雨雲で真っ暗になる=港に戻る決断をすべき時=決別する決意を固める時が来るでしょう。その時、きっと私は「心の中の雨雲を払いのけられる」=「この愛の傷から立ち直れる」と知るのでしょう(気が付くに違いない)。なぜなら、私は「航海(愛)」が続けられるよう、精一杯努力したから。それでも、「ああ、貴方を愛したことは罪だったのか?」という疑問。「貴方は私を責めるのでしょうか?」という嘆き。そして、「私に非があるから、こんな結果にしかならなかったのか?」という自責。
その一方、前文で述べた様に、最後は、私は「自分で黒い雲を払いのけられる」と解っており、本当は「自分に非があるとは思っていない」訳です。それでも自問自答は止められない。複雑に揺れ動く女心というか、男心というか、そんな思いが籠った歌詞と思います。なので、特定の誰かを示す「you」が必要で、歌の方も、この「you」の「高音F音」をビブラートを使って「揺らし」て、そうした揺れ動く思いと嘆きを表現してみました。真直ぐな音からのビブラート技法の勉強になると思います。
Oh, was it a crime to love you?
ここは、この恋愛がこの時点で既に「過去の事」であるので、「過去形」にしました。今も愛しているとしても、既に遠くにいる「誰か」との事であり、過去形ですと「貴方を愛する事が罪だった」と訳すことが多いですが、自然な日本語では「貴方を愛した事が罪だったのか?」となります。
第2バース
Crucify my love if my love is blind
Crucify my love if it sets you free
Tried to learn
Tried to find
To reach out for eternity
Where was the answer?
Was that forever?
オリジナルでは、「Swing the heartache」で始まる1番の第2バースになっていますが、この前の「Was it a crime to love you?」で「愛する事が犯罪だったのか?」と言っているので、次のフレーズは、「Crufify My Love」と「Crufify=量刑する」という言葉の方が、言葉の流れとして自然であり、ドラマティックな展開になると思います。
第2バースの最後は、オリジナルは「Where is the answer?」で「現在形」ですが、「Was it a crime to love you?」で「愛する事が犯罪だったのか?」を受けて、「Where was the answer?」で、これまでを振り返り、「どこに正しい答えがあったのか?」とか「どこに解決法があったのか?」と「過去形」で受けた方が「思考の流れ」が自然です。これを過去にすることで、次の「Was that forever?」についても、その答えがあったのなら、それが「永遠の愛」に辿り着く方法だったのか?」という「普遍的な質問」となり、歌詞に深みが出ると思います。ここは「Is that forever?」でも良く、その場合は「もし仮にそんな答えが見付かっていた」としたら「それが正解なのか?」という意味合い。どちらで歌っても、夫々に意味が深いですね
第3バース
Crucify my love if it sets us free
We’ve Never known
We’ve Never trusted
Still that love could have the colors?
直前が、「Is that forever?」のフレーズで余韻を残すため、オリジナルの1ライン目は歌は削りました。2ライン目は、「it sets you free」を「 it sets us free」にして、「お互いが自由になれるなら」という意味合いにしました。ここも「if節+S+V」なので、「仮定法現在」で「if it set us free」でも良いですが、この場合「仮に」という「現在と反対の状態」が強調されるので、オリジナル通り「現在形」のままにしています。
オリジナルでは「if it sets me free」=「私が自由になるなら」で、自由になるのは「私」であるので、ここまで引っ張った上で、最も自由になりたいのは「本当は私です」という意味を込めました。なので、「 it sets us free」とし、「Never known」も「We have never known 」とし主語をWeで揃えました。
エンディングバース
Crucified my love
‘cause we were in that way
ここまでの間に、この恋愛について回想を繰返し、犯罪と呼べるほどの「罪だったのか?」を自問自答し、ボロボロになりながらも、「雲を払いのける」ことを誓う。この関係は、どんなに愛していたとしても、結局、「Crucify」=「十字架にかけて息の根を完全に止める」位に「完全破壊する」しか、自由になる道が無いと理解していくわけです。なので、最後は、相手に「Crucify my Love」と、最終結論を投げるのではなく、「Crucified my Love」で、私が自分から「私の愛を完全に終わらせた」と結論を述べ、その理由として、「ああ、やっぱり、私達は、愛情を「Crucify」されるほどの「苦しみに満ちた関係」であったのだからと締めくくる。
最後は、たった2行ですが、ここを「過去形」にすることで、楽曲全体の「結論」が明示され、よりドラマティックな印象を残すことが出来ると思います。
Crucifixion of Christ(キリストの受難)について
「Crucifixion」は「Crucify」の名詞形ですが、海外では、「キリストの受難」として知られ、キリスト教徒だけでなく、ユダヤ教徒やイスラム教徒にも有名な話であり、日本人が、これを「モチーフ」に歌詞を書くというのは非常にチャレンジングだったかなと思います。初めて歌詞を見た時、正直、日本人が作った歌詞とは思えない内容だったので、非常にビックリしました。
Yoshikiさんは、メロディが非常に美しいですが、この曲は、モチーフとメロディとピアノのアレンジが絶妙にマッチしていて、歌っていて、ただ「入れる楽曲」だと思います。なので、英語については、モチーフに沿って変更をしてでも歌いたいと思いました。
キリストは、十字架に磔にされ処刑される前に、自ら、市場へ出向き破壊行為に及んだとも言われています。宗教家として有名になり、政治指導者の脅威となっていた可能性は高いですが、捕えられる「具体的な理由」を自ら作ったようです。そして、逃亡するキリストを弟子の一人が裏切り、捕えられ処刑された。それも、十字架に磔にされ、脇腹を何度も槍で突かれて。当時の処刑としては、十字架刑は「見せしめ」の意味もあり、最も重い処刑の仕方だったのではと思います。
そこまでズタズタに破壊してしまいたい「愛情=自分の想い」とは、どんなものだったのでしょう。私は、そういう思いをした人間なので、この歌の主人公に自分の心情が重なりますね。海外では、恋愛関係でかなりなドロ沼も多く、日本人には想像も出来ない状況も起こります。この歌を聴くと、特に、キリスト教徒の方々は、多分、私と同じように「壮絶な気分」になるかも知れません。
私は、今井式3オクターブ歌唱法を世界へ広めたいと願っており、いつか英語圏の方々が歌の練習にこの曲を歌って、歌声の演奏方法を学べるように、少々、頑張ってみました。私の歌を聴いて頂ければ、海外のディナーショーなどで、有名な歌手が歌っていたとしても全く不思議は無い「出来栄え」になったかと思います。
私は「神道の行者」であり、特定の宗教の信者でもありません。キリスト教については知識として知っているだけですが、海外の文化の殆どはキリスト教がベースであることから、海外の人々へ発信するなら、宗教に関する知識は必須かなとは思っています。