母親の容態悪化

母親の容態悪化

母親が私を生んだ数年後、心臓病で大手術を受けて以降、母親をサポートするのが私の役目になった。15歳で父が他界して以降は、私のことで余計な苦労は掛けること無いよう、母親がそれ以上不幸にならないよう、私なりに精一杯努力して来たつもりだった。20数年前、崎谷健次郎らが、私にストーカーの濡れ衣を着せて虚偽告訴しようと、最初に「虚偽告訴の脅迫メール」を私の家族に送り付けて来たことで、母親は病弱で私に頼る人生なだけに、メールの罵詈雑言に涙を流して悲しんでいた。私としては、母の生前に、崎谷健次郎に、私の母親に対して、自分の遣った非道を謝罪させたいと長年思って来たが、今の状況を見ると、謝罪させることは不可能と思う。私が仮に刑事告訴出来たとしても、母親はその前に逝ってしまうだろうから。

私は、あいつらの様に、裏と表を使い分けて、人を陥れるような真似は絶対にしない。「あいつら」である理由は、虚偽告訴した「崎谷健次郎」だけでなく、事務所社長の元妻である「鶴崎江理子」、それ以上に、黒幕である1人目の韓国人元妻の「吉國一己」の3人だからだ。韓国系は、韓国ドラマの通り、徒党を組んでターゲットを陥れる。徒党を組むので、陥れる手口も巧妙だし、「証拠」も平然と捏造する。2019年の崎谷健次郎ストーカー事件の手口は実に韓国ドラマでの「陥れ方」そのものだ。周囲の人間を利用して、ストーカー証拠を捏造を図ったし、周囲の人間を利用して「証人」をでっち上げたのだから。

崎谷健次郎も、私の知る限り、多少の「思考力」はある人間だったし、警察が動いたのであれば、それなりに「ストーカー被害」もあったのかも知れない。本当に虚偽被害で、あそこまで「馬鹿げた虚偽告訴」をするのも、不自然な感じが否定出来ない。ただ、絶対的に「私では無い」以上、「本当に被害があった」のなら「第3者の真犯人が存在する」のは明白だ。私の方は、崎谷家次郎によるストーカー加害があり、長年、非常に苦しんで来た。諸状況からは、真犯人は、共通の知人である「吉國一己」以外に考えられない。

吉國一己については、ニューヨーク時代、数カ月に渡り、じっくり人間観察したので良く理解している。多分、私がこの世界で最も深く彼女を理解していると思う。あの女は、表顔は善人でも、私の母親が「深刻な状態」であることも、私が「母親が瘦せ細って死にゆく様」を毎日見続け「絶望的な気分」でいることを知れば、裏では「嬉しくって仕方ない」と大喜びする人間だ。なので、このブログも読んでいるに違いない。海外では無く、日本で。あれから、どうやら帰化はしたようだが、所詮は、韓国人なので、「韓国ドラマの悪人」に共通する「裏表の使い分け」は巧妙だ。普通の人であれば、私の発言が疑われるくらいに、立ち回りが「非常にうまい」。彼女と話していると、「有得ない話が正しい」と思えて来る。私も一時期、洗脳に近く「信じていた」ので。崎谷健次郎も、会った時に「洗脳状態」かと思った。離婚後で、「もう絶対に無理だ」だと言うので、洗脳を解いてやろうと思ったが、結局、友人関係を継続し、自分が金づる状態なのにも気が付かない。今回の事件で思ったが、こういう人間と長く居て、ドロ沼の離婚劇の後でさえ「素晴らしい人間」だと「評価」し続け、未だに「著作権料を支払って」養っているようだから、「本性」を見抜く「思考力や観察力は無い」のかと思う。

崎谷健次郎のやった「ストーカー手口」は、実に「曖昧」で「巧妙」だった。だから、「愛情のもつれ」なのか「虚偽告訴の証拠作り」なのか「完全な判断」には中々至れず、取り敢えず、「ストーカー行為」を止めさせるにしろ、一度、「決着を付ける」べきと考えた。数年かけて、「ストーカー行為の証拠」を固めた後、メールでの接触を経て、直接接触を試みた。渋谷警察の生活安全課が、「通常の捜査」や「通常の犯罪取扱い」さえしていれば、私の逮捕など有得ず、むしろ、あいつらが虚偽告訴犯罪者として、全員、送検となり、「手口の悪質さや長期性」と「社会的な影響の高さ」から、数か月でも実刑で「刑務所行き」になったと思う。

私としては、あいつらの刑事的な法的処分が達成出来れば、「母親への償い」が出来るのではと思っていた。私は、母には本当に悪い事をしてしまった。崎谷健次郎と関わり、何度も「これで終わりだ」と通知しながら、私の方から警察に不審電話の発信元の捜査を依頼したり、弁護士を立てて「警告」を発するなど、完全に縁を切ろうとせず有耶無耶にしていた。その結果、ああした罵詈雑言メールを送り付けられ、その後の20年近く、もちろん、今もだが、母は、「自分は母親失格」だと思って生きることになった。その上、最後は、「冤罪」とはいえ、自分の娘が警察に逮捕され留置場に入れられる「屈辱」を味わわせてしまった。私は、本当に、親不孝な人間だと思う。

 

私の母は、2019年6月の私の「冤罪逮捕」までは、酸素ボンベを引きながらでも、近所を散歩できるほどには元気だった。今年90歳にはなるが、あいつらが、ああした「極悪非道」に走らなければ、「私は絶対的に無実で何もやっていない」のだから、単なる「話合いで済んだ」し、「実名告発ブログ」についても、幾らでも「話合い」の余地はあった

私は、長年、誰にも、自分の母親については細かくは伝えて来なかったが、渋谷警察署の刑事らにも言いたいが、「こんな深刻な病状の親を抱えて」いる人間が、たった一晩関わったにしろ、長年付き合ったにしろ、「誰かをストーカーして時間を無駄」にする「暇など無い」ことくらい、簡単に想像付くだろう。これは、崎谷健次郎についても、同様だ。「人の話を聞け、この馬鹿野郎」としか言いようがない。

私の人生は、「深刻な心臓病」で「肺疾患」も合併し、いつ死んでも不思議は無い状況の母親を抱えていて、こいつの「ド下手くそな歌」を聞きにライブに行く時間がなど無いし、こいつの事務所だの自宅だの、どこだか知らないが訪ねて行くような暇はない。確かに、20数年前には、一度、訪ねたことがあるが、「婚姻届を返却して来ない」ので、縁を切る前に、どうしたのか確認しておきたかっただけだ。それも、会社の帰りに2回だけ、数時間、待っただけだ。自分が「返却もせず放置してにいた」のを棚に上げて、やれ「ストーカーだ」「ストーカーだ」と連発しては、私の母親に、虚偽の被害を書き綴り「母親失格」とメールしてくる始末。この馬鹿さ加減は、本当に、有得ない。

 

私のストーカー事件は、警察が虚偽告訴犯罪者の犯罪隠ぺいを図ったが、私は絶対的に無実であり、それは検察で証明して貰ったし、そのことを昨年6月から「事件サイトを公開し、社会に向って、何が真相だったのかを情報公開している。警察庁へは「苦情申出」と「検挙依頼」も何度も送ったが、あれだけの「違法行為の連発」にも関わらず、監察官室及び東京都公安員会のレベルで、「何一つ問題は無い」という回答だった。一応、将来的に、それも情報公開する予定で、警察の見解は3回は確認した。ネットでの情報拡散は、私が知名度が低いため、社会への影響は弱いかも知れないが、先日、「本当にストーカーに遭っていた歌手の男性」が、自分のストーカー被害を公開するに当たり、「被害の証拠」や「迷惑行為の通知」や「警察による対応の証拠」など、「自分の被害が虚偽でない証拠を相当数提示していた」ので、崎谷健次郎によるストーカー虚偽被害捏造や虚偽告訴の認知や影響は、それなりに社会に広がっているように思う。

私は、「警察が虚偽告訴犯罪者の犯罪隠ぺいを図った」証拠があるので、そう発言しているが、私は「霊力の有る人間」で「人相も見る」ので、実際には、担当刑事らは「騙された」と思っている。人間的には、全員、非常に「善人」だった。それにも関わらず、あそこまでの「非道」と「違法」を繰返したのは、「芸能人という先入観」に加え、実際に「私を装った誰か」による「何らかの被害は遭った」のではと思っている

検察では「私を装った誰か(真犯人)」の特定まで出来たと考えるが、現状の警察組織では「嫌疑不十分の意味を理解出来ていない」程度に、刑事らに法律理解力が無い。結果的に、検察の上位捜査を軽んじ、というより、完全に無視して、「送検後の事件」を勝手に取り扱った。これまでは、私以外の逮捕者に、この間違いを指摘される事も無く、多分、30年近く、「間違った捜査フロー」「検察と警察の非協力的かつ敵対的な関係」が継続していたようだ。

 

私は、自称でも「霊力の有る者」であり、不思議と、昔から、「物事を正すべき場所」へ自然と呼ばれ、その切っ掛けを作るようになる。今回も、私の事件を切っ掛けに、警察と検察の間で、「犯罪捜査フロー」の再確認や、私の事件の様な「冤罪被害」が繰り返されないよう、「不起訴で真犯人未検挙で時効終了」のような「不始末」が繰り返されないよう、組織全体として「正すべき」だろう。私は、警察以前に、日本人を信じている。だから、公の立場として、私個人には「問題は無い」として「事件を有耶無耶にして」済ます姿勢を取ったとしても、組織全体としては、何らかの「対応」はして頂けたのではと思う。TV報道も、不起訴理由を公開するようになったし、先日の「本当にストーカーに遭っていた歌手の男性」の被害告白も、警察が「慎重な対応」をするようになった現れかと思う。

渋谷警察署には、まだ、刑事告訴には行っていない。ストーカー真犯人が未検挙だが、渋谷警察署は何もせず、時効となり、事件は未解決のままお蔵入りとなった。これも警察全体の犯罪捜査フローに関わる「大問題」だが、警察が虚偽告訴犯罪者の犯罪隠ぺいを図った事実がある以上、こういう手口で、警察が「冤罪捏造」と「犯罪隠ぺい」を繰返していた「疑いは生じた」といえる。崎谷健次郎の刑事告訴を、渋谷警察がどう対応するかは、非常に興味深い。もし告訴状を受理すれば、警察は「正常化」が進んだ証拠と言えるだろう。不受理であれば、日本人は、今後も、警察に対しては「疑いの目」を常に持ち、警察が「冤罪捏造」を繰返さないか、細心の注意が必要だろう。

私の事件は、他人事ではない。私の様な一流銀行でキャリアを積んでいた「ごく普通の人間」でさえ、「冤罪」に巻き込まれることは幾らでもある。無実であっても、社会的な地位のある人物ほど、「冤罪逮捕」の影響は大きい。それで、人生、全て、終わりに近い。深夜の裏通りの赤信号で車が一切通らなくても「止まる」ような「馬鹿真面目な私」であっても、こういう目に遭うこと、これ程にも、簡単に陥れられることを、日本人は常に心に留めておくべきだ。

 

私としては、崎谷健次郎に、私の母に謝罪させたいと思って来た。私の知る「崎谷健次郎という男」は、「悪いことをしたら、素直に謝罪出来る人間だった」ので、本当に警察を巻き込んで「ここまでの大事にする」とは思わなかった。しかし、良く考えれば、韓国ドラマの最悪の「悪女」そのものである「元妻韓国人」と長年に渡り「夫婦や親友」な関係を継続出来ている上、その状態で30年も経てば、人間も「腐り切った」としても不思議は無い。この事件は、「私の霊力の感知する」限り、黒幕は、韓国人元妻の吉國一己だ。霊力以外にも、状況的に、また、崎谷健次郎のプロファイリング的にも、黒幕が居ない限り、この虚偽告訴犯罪は成立しないと考えている。

どちらにしろ、黒幕が「身内」である以上、崎谷健次郎が責任を問われるのは当然である。それに、「単なる金づる」の用途でしかなくとも、本人は「素晴らしい人」だとか「滅多にいない」とか「親友」とか思っているとすれば、自分からは「真相の暴露」は出来ないだろう。それで、今後、仮に、自分の音楽家としてもキャリアを全て潰れ、楽曲製作で関わった音楽関係者の顔に泥を塗り、楽曲の利権も全て消失する事態になったとしても、「たった一言の謝罪」も言えないと思う。それで、吉國一己のプロファイルからすれば、「私が刑事告訴するのは、崎谷君が愛されてなかったって証拠だから」と言って、私を「試せ」と、心理操作をしているに違いない。そう言われると、私を知らない馬鹿であれば、行動は出来なくて当然だろう。

悪いが、私は、そういう観点で、この事件を見ていない。「事件の社会的影響の大きさ」から、警察として「事件の真相を明確」にし、今後の「不要な再発を防止」するために「社会的な記録」を残すべきとの思いからである。

あの女とは発想が真逆だが、私の場合は、自分が愛する人間だからこそ、自分と不思議な縁の人間だからこそ、「けじめを付けさせる」のが本当の愛情と思っている。だから、「自分でけじめをつけやがれ」と思っている。そのために、時間的な余裕を与えているに過ぎない。

また、私は、自称でも「霊力の有る者」であり、不思議と、昔から、「物事を正すべき場所」へ自然と呼ばれ、その切っ掛けを作るようになる。「物事を正すべき」であるので、「正すべき行動」をしたいと思うだけである。そして、「間違いは正せば」良く、「悪い事をしたら謝れば」良い。これが、「神道の発想」であり、行者は、そうあるべきと思っている。

母親の状態

数日前から、母親が、水も飲めないくらい弱って来た。砕いた氷を少しづつ口に運び、氷を噛み砕く反応に合わせて、水差しでジュースを僅かに口に注ぎ、何とか水分を取らせている。昨日は、薬も上手く飲めず、訪問看護の看護婦さんに手伝って頂いた。今日は、フルーツゼリーに薬を一個づつのせ、少しづつ、飲ませた。これだけで40分以上掛かった。朝は少し反応があるが、既に、衰弱が激しく、特に午後は、声を掛けても、反応さえ無いことも多くなった。ゼリーやトロトロのおじやを、容態を見計らって、口に入れてはいるが、呑み込めないことも多く、食事が殆ど摂れないので、日に日に、痩せ細って来た。

母は、人生の殆どを「大病を抱えて」生きて来た。何度も入院し、その度に、注射や検査で苦しんで来たので、「自宅で逝きたい」というのが「最期の願い」だ。母とは、途中、確執を抱える時期もあったが、私の人生の殆どを一緒に過ごして来た。普通の母子よりも、関係が密だと思う。私にとっては、半世紀以上を供に過ごしてきた「人生の親友」であり、多分、この世の中で「唯一私を信じてくれる存在」である。私の無実も、母は信じてくれて、自分が瀕死の状態でも、ボロボロズタズタの私を支えてくれた。

人間には「期限」がある。いつかは肉体を去らなくてはならない。いつかは別れなくてはならない。母の望みとはいえ、最期の最期まで「徐々に弱っていく様」を「看続ける」という、子供にとっては「余りにも悲しい試練」に耐えなくてはならない。私は、何も無いし、誰でも無く、母が居なくなった後は、誰もいない。今は、今後の事は、何も考えられないが、とにかく、目の前のことに集中し、日々を過ごすしかない。

 

ブログなんか書いている場合では無いが、書く事で救われている。LGBTの話も、次は「輪廻転生について」であるが、正直、私が何かを言って、何になる訳でも無い気がする。しかし、なぜ見るのか解らないが、昨日も、寝る前に、ちょっと目にしたYouTubeにLGBTの方の動画があり、ついつい話を聞くと、自殺してしまう方が多いようだ。私の話が多少でも役に立つかは不明だが、もしかしたら、「自殺」よりも、「次の生き方」を模索する方を選ぶ何らかの切っ掛けになるかも知れない。思い悩んむのは大いに思い悩むべきだが、死んでしまったら、思い悩むことも出来ない。

母親が非常に深刻だが、少しづつでも書いて、アップしたいと思う。

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