ツインレイの話ーその2(その意義)

ツインレイの話ーその2(その意義)

私が「ツインレイ」という概念を初めて知ったのは「2017年の秋」で、YouTube動画だった。そこで語られる内容が、崎谷健次郎と私の関係性に余りにも酷似していたため、興味を持った。スピリチュアル系の話は、「占いビジネス」や「恋愛相談ビジネス」と結び付きやすい。「ツインレイ」についても同様の展開。より多くの顧客獲得する目的から、例えば、「誰でもツインレイがいる」というような「誤った情報」が、「自分達はツインレイ」とか「自分はツインレイに会った」とかいう「占い師」や「ご相談者」から、実しやかに拡散されている。

前回ブログ「ツインレイの話」を書こうと思ったのも、誤った理解や情報に惑わされ、婚期を逃してしまったたり、人生の時間を無駄にしてしまうケースが多発しているように思うからだ。「サイレント期間」という意味不明な言葉の下に、「運命」と「未練」の区分けが付かないでいる人も多いのでは無いかと思う。「占い師」や「ご相談者」は「やんわり」しか言わないが、私は「霊力でお金は稼いではいけない」と思っているし、厳しくても、はっきり言いたいと思う。

私は「ツインレイの話-その1」で述べた様に、崎谷健次郎とは普通では有得ないような「不可思議な出会い」をしたし、元妻韓国人の吉國一己が連発していた以上に、確かに、まるで「もう一人の自分」だった。単に「似ている」とかそんなレベルでは無かった。これはそういう人間に会った人にしか理解出来ない感覚と思う。また、良く言われるように、「手の形が似ている」とか「身体の同じ場所にホクロ(アザ)がある」とかもあった。当時は「ツインレイ」など知らなかったが、余りにも「奇妙」だったので記憶している。ちなみに「誕生日も逆回りで同日」である。両方に「偽ツインレイ」と言える人物が存在し、「闇の存在」に相当する人物も確かに出て来た。

「ツインレイ」が本当に存在するかは現時点でも私は当然まだ疑っている。有得ないし、出来たらそういう「変な話」に関わる様な人間では在りたくない。しかし、もし、今後、崎谷健次郎が謝罪に来るとすれば、自分の体験した「不可思議な出来事」は全てもう一人の当事者であり第三者により証明されるだろうから、そうなると「存在する」としか言いようが無いかも知れない。

崎谷健次郎が私のこのブログを読むかは不明だし、今後どうしたいかも知らない。ただ、もし所謂「再会」に至るのであれば、世間に対して、「人の縁」に関する「非常に特異な実例」を示すことになるのではと思う。本来、そこまで行ってからブログを書くべきかも知れないが、昨今、「占いビジネス」や「恋愛相談ビジネス」でかなり誤った情報が散乱している現状を考えると、「不可思議な体験者」としては、ブログは書くべきかと思う。

厳しい精神修業

私は自分の人生の経験から、もし仮に「ツインレイ」といえるような相手に会ったとしたら、人生が滅茶苦茶になる位に「厳しい精神修業」の日々になると思う。私は元々「不思議な人」なので、生まれた直後から「誰かを探していた」のは事実だが、だからと言って、こんな人生になるとは想像もしなかった。望んで出会った訳では無いし、予知夢を見たにも関わらず、回避しようが無かった。それに、「ツインレイ」であれば、出会えば確実に解る。誰かに相談する必要も無い。そんな「おとぎ話の相手」に出会う夢を見るより、自分の今の「縁」を大切にすべきと思う。人を愛することや、自分の成長とは、誰が相手であっても「学びはある」と思う。そのことを伝えたくて、このブログを書きたいと思った。

私は、占いとかスピリチュアル系の話は信じない。手相も、例えば、私は仏眼相で神秘十字も両手にある。確かに霊力はあるかと思うが、そんな事を気にして生きてる事がナンセンスだと思っている。「パワーストーンはただの石」だし、数珠は弱くて役に立たない。日本では「神社のお札」の方が魔除けになる気がする。占星術もタロットも信じない。本当かも知れないが、そういうのに頼った人生を送ってはいけないと思っている。そんな調子では、いつまで経っても自分の判断で人生を進めないだろう。

「ツインレイ」とは

では、「ツインレイ」について、私が「本来」と思うところを少々説明したい。

「ツインレイ」とは、元々、アメリカのリサ・J・スミス(Lisa J. Smith)さんという「チャネラー(霊媒師)」が、1999年に、高次元の霊的存在(アセンテッド・マスター)から受け取ったというメッセージの内容に基づく「魂に関する概念」である

原文が英語で、ネットには和訳のブログが多数存在しているが、単に和訳すれば理解出来る内容では無い。英語は、単語が単数か複数かだけでも、ニュアンスは相当に変わって来る。

本来のメッセージを読めば、「ツインレイ」とは、「前世で2つに分かれた魂」という解釈にはならない。また、「前世で一つだった魂が二つに分かれて今世で出会った」という解釈も成立しない。

実際には、魂には7段階の階層が存在し、「ツインレイ」がその最上位に当たる。要は、自分の魂が最上位の段階に達しなければ、「ツインレイ」にはならず、必然的に相手も存在しないということ。当然、7つの段階の上位に行けば行くほど、グループの人数は少なくなる。

私が原文を読んだ理解では、元々、1つの大きなエネルギー体が、光の閃光(粒)(sparks of light)として分散して、一人一人の魂となり、それが長い輪廻転生のプロセスの中で「統合」を繰返して行く。だから、当然、魂の状態として「上位」に行けば、出会う相手は少なくなる。「上位」に行けば行くほど、魂としての「課題」も大きく、「試練」も厳しい。ネットに拡散されている「お幸せなカップルのお話」とは、かなり意味合いが異なると思っている。

以下原文から

「As all beings are created from the source substance, we are all a part of Mother/Father God. In the grand oneness of source there is creation upon creation of sparks of light. You, my friends, are one of these sparks.」

以下は、私の和訳

「全ての存在(万物)が、その源となる物質(物体)から作り出される(た)ように、我々も、また、母であり、父である「神」の一部として作り出される(た)。その大いなる「1つ」の根源からは、数々の光のスパーク(ほとばしり/火の粉)が次から次へと作り出される(た)。私の友達(複数)である貴方達は、これらのスパーク(ほとばしり/火の粉)の一つなのである」。

 

上記の部分を挙げても、ネット上の翻訳では、「sparks of light」のニュアンスが見えていないため、「ツインレイ」の部分だけを読んで、単に二つに分かれたような「誤解」をしている方々が多いのかも知れない。

「spark(スパーク)」とは、電気がショートした際に出る火花や火の粉というイメージ。現在形になっているので、翻訳も現在形だが、前文が現在完了形であり、魂の形成について述べていると言えるので、作り出されたと解釈するほうが合っているように思う。「spark(スパーク)」は、私が以前見た「神社のお社」から出ていた光を思い起こさせるものがあった。神道的に言うと、「分け御霊」のような概念になっているところが不思議かつ興味深い。「六根清浄大祓」の中の概念とも少し合致している気がする。

以下原文から

「Many of us have journeyed long and far to reconnect with that one complete half of who we are. For the experience of duality, we split in two separate spheres of Light, and now it is time to once again complete the divine union between our male and female God-self.」

以下は、私の和訳

我々の多くは、自分自身の「完全なる半身(もう一人の自分)」と再び結び付くために長く遠い旅を続けて来た。(かつて)、二極化(男と女、乃至は、オスとメス)を経験するために、我々は二つの同等に分かれた「光(根源)」に二分化した。そして、今、再び、自分自身の中の男性と女性に分かれた「神域の自己」の間で、神聖なる統一が再び完結しようとしている。

私の理解

全文の翻訳は、以前やったデータを消してしまったので、今後再度取り組みたいと思うが、私の理解では、元々大きな光のエネルギー体が「根源(source)」として存在し、それが細かい光(sparks)に分離分散した。この地球では、肉体の有る物体は、基本、男性(オス)と女性(メス)の特性を持つ。それぞれの肉体(vehicle of expression)に入るためには、一つ一つの肉体に合わせた小さなサイズ(sparks=光の閃光や粒)にまで分離分散する必要があった。しかし、長い年月を経て、それらは少しづつ「統合」し、現在では、最後の「統合」に至る「一対」の「Sparks」=「ツインレイ」の状態に達する者も生まれて来た。そのため、最後の「ツインレイ」統合に向け、サナンダが、メッセージを送った。

という事で、以下が魂の7つの段階

  1. Twin Ray
  2. Twin Flames
  3. Twin Souls
  4. Twin Mates
  5. Divine Expression
  6. Soul Mates
  7. Divine Complement

この話は、上記の7段階において、「7.Divine Complement 」から、少しづつ、Integration(統合)を繰返すのが前提の様で、これと仏教的な「輪廻転生の思想」が融合している話になっている。

魂と魂は「統合」を繰返して行くのが前提の話なので、各段階の条件や統合の方法については、特に「Twin Mates」から上は、類似点が多いのではと思う。そのため、「ツインレイの統合」で語られる内容は、その他の6段階における「統合」の場合にも、非常に「有効な情報」であるといえるし、単に、「人を愛する」という観点では、精神的にどうあるべきかを考える切っ掛けになるのではと思う。

「愛しているなら〇〇するのが当然」のような利害関係ではなく、そうした物理的なギブ&テイクではなく、例えば「魂」という観点で、愛情の在り方を見つめ直すという事かと思う。これまでの人間の長い歴史では、「物理的な労作や報酬」と「精神的な愛情や誠意」とを天秤に掛けて、愛情の重さを図る傾向が強かったと思う。男が外で稼ぎ、女が家を守りという生活スタイルでは、労作と愛情とでバランスを取って、物理的成果により相互に「愛情を感じていられた」と思う。ところが、男女とも働き、男女とも家事を行い、ユニセックス的な関係になると、愛情の尺度を、何をもって図れば良いのか解らなくなる。相手の為に何かをやっても、それが相手には「愛情」として伝わらない事態が起きる。本当に愛しているとはどういう事なのかが解らなくなってしまう。

以前のブログで、「魂には男も女も無い」と書いたが、生活スタイルがユニセックス化するにつれ、何が男で、何が女かの定義も曖昧になったと思う。かつては、男は肉体の特性から強制的に男として生き、女もまた肉体の特性から強制的に女である生き方になった。それが、多分、第二次世界大戦以降から、女性の社会進出と共に、自分の中にある男性の部分と女性の部分の精神的バランスが変わって来てしまったと思う。

魂として、輪廻転生を繰返すのであれば、当然、男の人生もあり、女の人生もある。前世が男で、それまでも男の人生が多ければ、魂も男性的になるだろうし、女性の人生が多ければ、今世で男に生まれても、女性的な側面が強くても不思議は無い。かつて、どちらかに属することで学んでいた時代から、自分の中に両方を持つ時代になったと言えるかも知れない。その上で、魂としては、女性に生まれる意味、男性に生まれる意味があるように私は思っていて、私は女性に生まれたので、女性として女性を学んでいるという感じ。

サナンダのメッセージでは、両極性(男性と女性)を、夫々の魂が経験するために2つに分かれたと言っている。と私は解釈している。私は、折々、人を見ていて、魂の重さが違うのに気が付く事がある。不思議と、芸能関係の人に多い気がするが、「圧力が高い」という感じ。なので、魂が輪廻を繰返し「統合」していくという所に、不思議な興味を感じた。ツインレイの概念と言うのは、そういう意味で、存在するしないに関わらず、自分には興味深いものがあった。

以下原文から

「Earth is the pivot point for the entire universe for the end of duality. We are at a blessed time when the Twin Ray couplings can start the slow process of reunion. Your Twin Ray is the ultimate experience of your God-Self in every facet. It is Who you are, and for this we are extremely grateful. At this time the Twin Ray reunions are happening on a massive scale.」

私の翻訳

「地球とは二極化を終焉する意味では宇宙全体における中心軸的な位置付けといえる。我々は祝福の時を迎えようとしている。ツインレイとして繋がる者達が再統一にむけてのゆっくりした過程をようやくスタートする事が出来るようになった。貴方のツインレイはあらゆる局面において貴方の「神域的な自己」の究極の体験といえる。それは貴方自身であり、それ故に、極めて喜こばしい。現時点で、ツインレイの再統一は大規模に起りつつある。」

私の翻訳も、原文が例えば「We」とは誰かとなると「高次元の存在達」と解釈出来るが、「 for this we are extremely grateful.」での、「this」は本来これから述べる事を差すので、ここは「that」ではと思うが、この辺りはチャネリングという特殊性からだろうか。全般に解り難いと思う。ちなみに「reunion」を日本語で「統合」と訳しているようだが、「union」の「uniー」は「一つの」という意味なので、「再統一」が正しいと思う。2つの物が再び一つになるという意味。

また、上記の原文に、「God-Self」というのがある。「ツインレイ」とは「God-self」の究極の体験とある。「God」は「Mother/Father」であり、「God-Self」は自分の中にある「Mother/Father」であり、「男性」の部分と「女性」の部分。どの人も、男に生まれようが、女に生まれようが、自分の中に男性の部分と女性の部分があるもので、多分、それは否定出来ないと思う。

一方、肉体は、自然な状態では、男性か女性の二者択一になっており、昨今の様なユニセックス時代では、自分の中で、男性と女性のバランスが取れない状況がしばしば起きるのではと思う。その延長線上にLGBTのような「表現」が生れるように思う。肉体とは、「vehicle of expression=表現する乗り物」であり、女を表現するのか、男を表現するのか、自分をどう表現するのかであり、この「ツインレイ」の話というのは、自分が「魂」として、その人生で何を学ぶのか、なぜその肉体であるのか、その肉体で自分をどう表現するのか、その辺りのバランスの取り方の一つの解答のように感じる。要は、肉体の特質に関わらず、「男性」性と「女性」性を両方持ち、「魂」として統一するということ。どちらで生きるかは問題では無く、逆に言えば、魂という観点で愛情を考えた場合、肉体の形状で愛する対象が決まることも無い。

最終的に、母であり父である自分になるということ。どちらの肉体をも経験する必要があり、夫々の肉体での学びがあり、それが輪廻転生するという意味。

サナンダのメッセージの意義

私は、リサ・J・スミス(Lisa J. Smith)さんを全く知らない。世の中には、そうした「霊的な存在(人間の肉体の中にいないもの)」と、「何らかの交流」が出来る人間はいるようだし、自分の実体験から、単なる「作り話」だとは、少なくとも私は言えない。だが、これがなぜ世の中に発信されるのかを考えると、これまで「人の在り方」を教授する存在として、「宗教」というもの「概念」や「教義」について、世界規模で「限界が生じている」からのように思う。

例えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、3つで1セットとなり、「一神教」の宗教だが、仏教など「多神教」とでは、根本的に、大きな「矛盾」が生じる。この相容れない「矛盾」をどう解消するのか、そこから、結局、新しい「宗教思想」や「思想概念」が生れて来るのは、歴史的に見ても特に不思議な事態ではないだろう。サナンダのメッセージとは、その過程での「導き」のように思う。

ニューエイジ思想とツインレイ

現在では「ツインレイ」という言葉と概念が広まっているが、そもそも、これの大元には「ソウルメイト」という言葉と概念がある。「ソウルメイト」の概念は、1999年のサナンダのメッセージより1世紀以上も前から生まれており、ニューエイジ思想の中核的概念だったと記憶している。私は「ツインレイ」も「ニューエイジ思想」の流れを汲むと考えている。実際、サナンダのメッセージでは、下から2つめの段階に「ソウルメイト」が存在する。

私が最初に「ニューエイジ思想」について知ったのは、高校卒業した直後くらいだったと思うので、既に40年近く前になる。ある人に、「ニューエイジ思想」の活動家であった、アメリカのシャーリー・マクレーンという女優が書いた「Out On a Limb」とい本を進められ、知識程度に知っていた。私がその時聞いた話では、魂には、例えば、戦士とか聖職者とかいった特性があるとか。これはタロットと思想が混同したのではと思うが、人には夫々に魂のグループが存在すると言うもの。

私は、「ニューエイジ思想」は、仏教的な輪廻転生思想が、輪廻転生を否定するキリスト教徒に影響し、ある意味、東西宗教思想との「矛盾点の消化」の為に生まれた思想と分析している。

日本人は輪廻転生を基本的に信じる人が多いし、親や子供、恋人や夫妻など、「前世までの縁である」という発想が定着している。私もその一人なので、当時、「ソウルメイト」の話を聞いても、特に新しいという印象は持たなかった。ただ、仏教の輪廻転生には、「魂のグループ」という発想は無いので、そこは新しい概念かも知れない。

キリスト教などの一神教を信じる人々には、仏教など多神教の東洋思想や輪廻転生思想は「矛盾」するものであり、例えば、「カルマ(前世までの業)」などの思想へ傾倒すれば、社会では、まさしく「Out On a Limb(孤立無援の状態)」で批判の対象にもなるだろう。アメリカなど「キリスト教文化圏」では非常に斬新な発想だったのではと思う。シャーリー・マクレーンは不倫相手との関係性から、輪廻転生思想へ入ったような印象でいるが、結婚の神聖性が揺らぎだした時代を反映しているかも知れない。

私は、最初に聞いた当時は「アメリカでの新規思想」という程度の理解に留まり、その後は、2017年に偶然YouTubeで「ツインレイ」の動画を見るまでは、この手の胡散臭い「スピリチュアル話」は一切忘れていた。

2023年の現在、「ツインレイ思想」が世界的に広まって来ているが、サナンダのメッセージは既に20年以上前の話である。また、「ニューエイジ思想」の全盛期は、「Out On a Limb」の出版が1982年なので、サナンダのメッセージの約20年前になる。この100年程度での宗教的な思想の動きとしては、スピリチュアル系の話は極めて胡散臭いと思いながらも、歴史的な流れとして起こるべくして起こっている感じは否めない。

なぜ自分が「ツインレイ」で語られるような事態に遭遇したかは明確には解らない。しかしながら、世界史的に見ると、世界の新しい主流となる思想や概念が生れて来ても不思議は無い時期であり、今後少しづつでも「〇〇国人」から「地球人」という認識に進んでいくとすれば、現状の宗教の協議の違いや矛盾などが、何処かで大きく是正される時が来るのではと思う。要は、ある意味、「宗教融合」という流れが生れてくるのではと思う。

そして、「ツインレイ」という概念は、これまでとは少し「路線の違う発想」であり、世界規模で、何らかの意識変革へ向かうのであれば、実際にそういう人々が「存在する」のを具体的に見れば、「信じるか信じないか」は別として、何かしら「意識変革」へ向かう「切掛け」には成るかも知れない。私は、昔から、「何かを示す」役割になる事が多い。

何が理由かは解らないし、私はストーカーなど一切していないので、この発言が不要な誤解を招くと心外ではあるが、これは崎谷健次郎と会ってみないと、本当なのかも、何か理由があるのかも解らない。

私は、自分のこういう「変な所」が本当に嫌いで、自分の心霊体験にしろ、神様の話にしろ、長年、自分に封印して生きて来た。普通に話せば「キチガイ」と言われるし、自分としては「ごく普通に生きたい」と願っていた。それでも、この歳まで生きて、母も亡くなり、自分の人生の終盤に至って、今後は自分に起きた事は起きた事として否定しない生き方をしたいと思うようになった。仮に「キチガイ扱い」されたとしても、私は例えば「怨霊」を見ることで危険回避をしたのは確かだし、予知夢も見るし、これからの人生はそういう自分を自分で否定したくない。

今後、崎谷健次郎と会う事があるかは解らない。ごく「普通の人」のようなので、私には耐えられないかも知れない。一方、私と全く同じように、「不可思議な出会いや体験はした」のは確かである。私は結局起きた事を否定しては生きられなかったが、崎谷健次郎は、否定して気にせず生きられたのだろうか。そして、なぜそうなのか、その理由とか自分の役割とかを考えることは無いのだろうかと思う。

 

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