日記ブログ-2023-09-05
母が亡くなりあっと言う間に1カ月が経とうとしている。我が家のお寺は永六輔氏のご実家で、生前はご住職のお兄様に葬儀や法事でお経を上げて頂いていた。父の死後、密かに精神的な拠り所にしていた。今も、実家のお墓参りの際には、ご住職のお墓にもお線香を供える。
生前、ご住職が、度々、「人が亡くなると、お通夜、告別式、初七日、三七日、四十九日、やがて年回忌と、法要を重ねますが、その度に、故人から、「もうこんなに時間が経ったんだよ。ぼやぼや生きていてはいけないよ。」と言われている気がする」とおっしゃっていた。この1カ月は「こんなに」という期間ではなく、葬儀の翌週から急に友人の犬を1週間ほど預かり、お世話で追われたこともあり、慌ただしく過ぎた。犬が帰った後、溜まっていた疲れが一気に出て、張り詰めていた緊張も糸も急に切れたようで、先週は殆ど一日中眠り続けていた。一日中、ただ眠くて、何とか、以前書いていたブログをアップする程度しか何も出来なかった。
長期的な親の介護で流石に「経済的困窮」は否めない。なぜかオーディオインターフェースも壊れた。音楽も中断せざるを得ない。母の死で人生を強制的に変えざるを得ない事態。仕事も年齢的にすぐ就けるか不安だが、人生、何事も流れに任せるしかない。
しかし、去年25年振りに東京へ戻った友人が「貴女の場合、家に一人でいるのは良くない。外へ出て人と話さないと。外に出て縁を作りなさい」と言う。兎に角、数日のバイトでも外に出るよう勧められた。実は、私は、銀行勤務時代は「100人宴会」を企画するほど本来は社交的だが、男女ともに個人的に親しい人、例えば、毎日のように電話するような人は一人もいない。いないと言うより、そういう人を作れない。
友達が作れなくなった
私はニューヨークで吉國一己に関わって以降、「もう二度と女性と親友関係にはならない」と決めた。親しく付き合う友人はいるが、毎日の様に「生活の中に入る」ような人は作らないで来た。正直なところ、誰も心から信用出来なくなってしまった。親切にされるほど、後で「利用される」と思ってしまう。
吉國からは、「元カレとの恋愛相談に乗って欲しい」と頼まれ、毎日電話でお茶に誘われては、崎谷健次郎の話を延々と聞かされた。軽い気持ちで付き合った結果、やがて、連日、ストーカー電話被害で苦しむ事態に陥った。就寝で床に付くと、暗闇に電話が鳴るというのを繰返していた。どの位の恐怖か、経験しないと解らないと思う。幽霊の方が余程怖くない。
「恋愛相談」という名目なら、幾らでも「復縁工作」の下準備が出来る。私は、それまで「そんな邪悪な人間」を知らず、一時は心から信用して、姉の様に慕っていた。崎谷と強引に引き合わせた時、「復縁工作」に利用する目的だと気が付いたが、「手口が下らない」ので、「それなら」と、崎谷健次郎に私が自ら復縁を勧めに行った。案の定、崎谷健次郎は吉國には「全く愛情は無かった」。崎谷健次郎は私に「二度と無理だと確認した」と言った。私にそう言ったのだから、崎谷健次郎には、自分の言葉を貫けと思ったし、今も思う。自分の言葉をきちんと貫けば、こんな悲惨な事態には陥らなかっただろう。
男性についても、安心して付き合えると思った事は無い。崎谷健次郎を考えれば、人間、何を遣り出すか本当に解らないと思う。世の中、悪事を働いても、「遣り逃げ」で、謝罪しないのが普通だろうと思う。窮地でも、最後まで「誠意を貫く」人間など早々いない。
執着の恐ろしさ
世の中、中途半端な関係を続ける人々も多いが、結局、男女関係が完全に終わっているのに、男が「二度と無理な女」と関われば、女の方に「新しい人生」を生きる機会を奪うことになる。これは真逆の立場でも同じ。「無理」なのであれば、「縁を完全に切る」のが「最も相手の為」であると思う。「仕事なら良い」という事では無い。自分に執着する相手の「視界から完全に消える」べき。
そこまでしなければ、あれだけ「執着の強い韓国女」は、自分の新しい道を歩めない。「異常なドロ沼離婚劇」の後、それでも「未練」がましく、初対面の人間に「元カレの恋愛相談」を持ち掛け、挙句に、その人を利用して「復縁工作」を図るような人間。日本に帰国後も、崎谷健次郎には、吉國一己についても話があった。「関わるな」という警告。内容が内容なので、手紙には書かなかった。こんな被害に遭うなら、早々に、バラせば良かったと思う。
土地柄、韓国人の女性が、日本人を「金づる男」にする話は、よく耳にして来た。発想的には「日本が悪い事をした」ので「韓国人に金を出すのが当然」というもの。戦後の韓国が、日本から多額の経済支援を得て来た手口と全く同じと言える。
その上、韓国の女性は、「別れ話」が出ると、鍋やフライパンを持ち出して、ぎゃあぎゃあ大騒ぎし、最後は包丁を持ち出して「死んでやる。殺してやる。」と泣き叫ぶとか。韓国ドラマを見れば、男女ともに、兎に角、些細な事で怒り、物を投げて、泣き叫けぶし、ストーカーになるケースも多いよう。
一方、「日本人の男」は気が優しいので、それでビビッて「縁が切れない」まま、長期間に渡り、かなり苦しむ人が多い。その間「相当な金額」を搾り取られた人も知っている。「出さなくてはならない状況」に巧みに追い込むとか。それでも、耐え兼ねて「別れ話」を強行した人がいたが、最後は「本物のストーカー女」になって、警察沙汰。それでも懲りずに数年は付き纏ったとか。ここまで「ぶざまな女」では無いにしろ、私を利用しようとした時点で、韓国人らしいなと思う。
崎谷健次郎は、2019年のブログで書いた通り、高校時代から、極めて長期に「洗脳状態」だった。怪我で日本へ帰国したが、直接、私が話す機会があれば「洗脳」から解放出来ると思っていた。残念ながら、人の話を全く聞かない人間で、真っすぐに言葉を理解する事も無く、遣り様が無かった。
一方で、再会出来れば、吉國一己には、私の「偽ツインレイ」の男性を引き合わせられると思った。吉國一己の発想や人間性とそっくりな男性だったので、彼女も幸せになれたかも知れない。それで、お互い、ハッピーエンドになれるかと思っていた。
だから、崎谷健次郎への手紙には、吉國一己についての「異常さ」については書かなかった。私の中では、久しく「友人」ではあったので。蓋を開けたら、案の定で、結局、崎谷健次郎のマネージャーか事務所スタッフで付き纏い、「私が接触しないよう」に、崎谷を装っては「ストーカー電話」を掛け、私のメールは削除。あの性格だから、私の事は自殺へ追い込みたかったのだろう。こういう所が、「私には救えない。兎に角、逃げろ」と言われた理由だろう。私の愛情や心理を巧みに逆手に取られてしまったと思う。
ストーカー被害の自作自演
実は、20数年前に、崎谷の独立時に、最初に「ストーカーの濡れ衣を着せられた」時、一度だけ、崎谷から電話があった。昔から、「更年期障害のヒステリーおばさん」なので、急に、一方的に電話を掛けて来て、自分の言いたい事をわめき散らした。私には口を開く余地も与えず、怒りまくっては、電話を叩き切るという始末。昔から、精神的な修業が本当に出来ていない人間。
その時に、崎谷健次郎が「今日も、ライブに、黒い車が乗り付けて来て。」みたいな話をしていた。崎谷健次郎は芸能人だし、2019年の事件の通り、口先で「大嘘を吐く」のは得意のようだが、その時の口調は、かなり切羽詰まった感じだったので、本当だったかも知れない。それで、「何が起きているのか?」と事務所へメールしたところ、「虚偽告訴の脅迫メール」が送られて来たのだが、その当時、本人が言うような事が起きていたのであれば、私では絶対に無いので、2019年の虚偽告訴事件と同様、「崎谷健次郎の大嘘」か、「吉國一己の自作自演」だろう。
2019年の事件では、検察で私の無実が証明されたが、警察が「犯罪隠ぺい」を図り、真犯人の検挙義務を怠った。警察の職務義務放棄は極めて悼まれる。
わるい事は止めなさい
ちなみに、この時、興奮してヒステリーを起こした崎谷健次郎が、受話器を吉國一己に手渡した。その時、吉國からは「わるい事は止めなさい。」と言われた。今思うと大笑いだが、ふざけるなと思う。
私は、吉國一己とは、半年以上に渡り、毎日、カフェで数時間お茶をしていた。数年経ったからと言って、彼女の声としゃべり方を忘れることは無い。一発で、吉國だと悟った。その後の「虚偽告訴の脅迫メール」は、母と兄も読み、「私では絶対的に無い」ので、兄から「警察へ行くよう勧める返信」を送った。
2019年の事件と全く同様に、私をストーカーだと決め付ける「相当に悪質な内容」だったが、家族が「被害があるなら警察へ行け」とまでの返信したのに、その後も、謝罪どころか、返信も無かった。この時も、「メールの管理は吉國一己が任され」ていて、「虚偽告訴の脅迫メール」を送ったのも吉國一己で、「ストーカー被害」も崎谷健次郎を騙す為の「自作自演」だったのだろう。
事件後に深夜の暴走車に遭遇
なぜここまで明言するかは、2019年の事件の後、私は2度ほど、深夜に急にライトを付けて猛スピードで爆走してくる車に遭遇している。私の逮捕後、ショックで、母が寝たきりになり、私は毎日深夜12時に自分の家に戻る生活をしていた。その晩も玄関ドアにカギを閉めて、自分の家に向おうとすると、数十メートル先に停車していた車が、急にライトを付けて急発進し、猛スピードで私の方に向ってきた。深夜12時を過ぎて、通りには私しかおらず、気が付かずに道を歩いていたら確実に引かれていたと思う。
一方、この事件では、私は、「真犯人」を初めから実名告発している。真犯人の動機と目的は「私の自殺」だろう。当時も、私が自殺を図らなければ、「真犯人」が「事故」とか「脅し」とか、何かしら「仕掛けて来る」と思っていた。
案の定、家に戻って1カ月くらいで起きたが、深夜の帰宅時は、常に周囲に神経を張り巡らしていたので、その晩も、歩き出す前に、進行方向と逆側の状況も確認していた。急発進して、真夜中の裏通りを暴走して来た車は、私の1メートル程前を走り去っていった。私は、とっさに、通りから玄関ドアに身を寄せたが、この時は、内心、流石にぞっとするものがあった。
それから3年近く、母の家へ入る際と母の家から帰宅する際、暴走車が止まっていた位置に、私を監視するような「車両」が週に数回は止まっていた。「私を監視する」と思うのは、私が母の家に入ると、その直後に、走り去って居なくなるから。深夜の帰宅時も同じだった。私が通りを曲がると、車は直後に走り去って行った。そういう不可解な事が度々起きていた。
監視する様な二人組の目撃
また、折々、私の部屋を見上げる「二人組」を目撃していた。一度は、私がベランダで視線を感じ、下を見ると、その二人組と目が合った。直後、こそこそと、二人でビルの陰へ逃げるように移動した。その時、目の前に、警察で護送に使うような「黒のワンボックス」が止まっていて、見ていたら、その二人の車だった。ベランダから部屋に戻り、数十分後にベランダに出ると、再び、その二人組が目に入った。車で出発しようとしている様だった。見た目からは、休日の「夫婦」か「カップル」なのに、男性が運転席に乗った後、女性は助手席へ座らず、ワンボックスカーの後方ドアを開けて後方シートへ乗っていた。角度的には3列目に乗った感じで、乗車後、出発まで10分以上止まっていた。この手の「不可解な動き」の「二人組」を時々目撃していた。時効まで3年続いていた。
警察がいくら暇でも、たかが「ストーカー」で、「再逮捕の脅迫」とはいえ、そこまで連日「監視」の様な真似をするのも不可解だ。私は警察の仕業かと思っていたが、20数年前に、崎谷健次郎が、本当に「ライブなどで車が乗り付ける」というような「ストーカー被害」に遭っていたのであれば、私の方への「暴走車による脅し」があっても不思議は無い。当然、「同一人物による指示」だと考えている。
この事件は、単なる「ストーカー事件」ではなく、「ダブル・ストーカー犯罪」だ。私という「ストーカー被害者」を、「ストーカー加害者」にでっち上げて「虚偽告訴」し、警察が冤罪逮捕に至った。それだけでも「凶悪犯罪」である。私も崎谷健次郎も「殺人」や「刺傷」という被害は無かった。しかし、この「犯罪手口」で「人間関係を拗らす」ことで、誤解し合った「被害者」同士が、「お互いに加害し合う」という「犯罪構図」は生まれる。
また、警察の「冤罪捏造体質の暴露」にもなったと言える。実際に、警察は、私という「本物のストーカー被害者」の訴えを完全無視し、「ストーカー被害者」を「ストーカー加害者」にでっち上げ「冤罪逮捕」した。検察についても、「事件が検察の管理下」であるにも関わらず、「真犯人の検挙」はしなかった。更には、警察は、再三、実際に「再逮捕の脅迫」を行った。警察も検察も、遣っていることが支離滅裂である。
警察では、「紅松麻雄」の時代から、私と同様の「冤罪事件」で人生を破壊された人が後を絶たないと思う。
ストーカー不審電話の証拠作り
私は「真犯人の行動」を想定して、2011年、崎谷が汐留ライブを開始した頃に、携帯電話番号を変え、2014年に退職直後、「崎谷健次郎の音楽セミナー」へ参加し、その際に、「新しい携帯番号」をわざと伝えた。この時、なぜか「セミナー後に本人と直接話をする時間」があった。受講生が崎谷健次郎の前に「列を作っていた」が、私は、汐留ライブが始まった時点で、「ストーカー冤罪の証拠捏造」が目的だと疑っていた。セミナー会場には、カメラマンが居たし、本人と至近距離で写真を撮られれば、それで「冤罪証拠」にされると思った。危険なので、列には並ばず、受付の女性に、「差し入れ」として、「お菓子」と「携帯番号」の記載した手紙を入れた「紙袋」を手渡した。
すると、案の定、私の新しい携帯に「非通知電話」が掛かるようになった。私は既に20数年、そうしたストーカー電話被害で苦しんでいたし、深夜の1時2時に非通知電話も多発した事もあった。警察に相談した際、警察では「発信元の割出し」が可能であることも知っていた。
そのため、まずは、私の方の「ストーカー被害の証拠」を確保する為に、もちろん、楽曲の完成と販売が目的でもあったが、「アーティストHP」を作り、固定電話の連絡先も公開した。固定電話の場合、相手が受話器を上げて繋がらないと、本体の通話記録にとしては残らない。「ストーカー真犯人」は「安直な性格」なので、「固定電話であればバレない」と思っていたようだ。
2014年から2019年の事件まで、ほぼ毎日の様に「プルプル」と1回だけ鳴っては切れる不審電話が掛かっていた。実際には、2021年5月に、固定電話を撤去するまで続いていた。それにより、ようやく「ストーカー電話」の無い人生になったが、30年に渡り被害を受けたことになる。
固定電話は、本体機器に通話記録が残らなくても、電話会社の記録には「呼び出し」の記録は残るはずなので、携帯と固定電話の両方で、被害の証拠を確保した。これに、崎谷健次郎による汐留の職場前のライブの日程履歴があれば、「普通の刑事」であれば、私を加害者とは考える訳はない。そして、崎谷に本当に被害があるなら、当然、「第3者のストーカー真犯人」が居ることを理解するだろうと思った。残念ながら、警察に「犯罪捜査は無理」だったようで、検察でしか「事件の真相」を理解して貰えず、冤罪逮捕送検になったが。
誤解によるストーカー言掛りの動画
先日も偶然見たYouTubeで、ある女性がネットへの書込みなどから、ある男性をストーカーだと思い込み、自宅へ押し掛けて大騒ぎするという動画を見たが、男性が「具体的な証拠を出せ」と言い、ツイッターのDMを見せろと言ったら、その女性はその場で「自分が送ったDM」を削除していたようだった。
女性が完全に相手を間違えて、実際に行って騒いでみたら「違う人だった」と判った。しかし、引っ込みが付かず、相手に動画を撮られて、逆に「証拠隠滅」したような感じだった。
具多的な証拠も無く、相手を一方的にストーカーに決め付けて、ヒステリーを起こす様子は、崎谷健次郎そのものという感じ。興奮して騒ぐ感じが非常に似ていて印象的だった。それでも、その女性は、相手の話は聞いていたし、何も聞かずに走って逃げるほど愚行はしていなかったが。
仮に被害が遭ったとしても、冷静に話合いの場を持つべきで、何らかの証拠も提示出来ず、一方的にヒステリーを起こして大騒ぎするべきじゃない。
ストーカーメールの捏造
崎谷健次郎も、私がやったという「具体的な証拠」は何一つ無かった。確かに、メールは送ったが、崎谷健次郎は、それには一切返信していなかった。
私が2010年以前に「ストーカー電話」の探りで送っていたメールは、崎谷健次郎には届いていなかったようだ。崎谷側の弁護士からの「虚偽告訴脅迫文」に明記して来た「メール被害」の内容は、2017年8月以降に送ったメールに関するものばかりだった。
この事件の「ストーカー真犯人」は、「安直な性格」だが「邪悪な人間」なので、私からのメールを「ストーカーメール」に書き直していたようだ。私にバレないと思って遣っていた事が「安直」。
当時、渋谷警察の担当刑事は、私の方の被害については一切聞く耳を持たず、代わりに、私の「送ったメールを全て削除しろ」と、要は「証拠隠滅」を強く勧めて来た。私は、ある意味、初めから「真犯人の炙り出し」のために、吉國一己について暴露する内容を何度も書いて送ったし、その結果、案の定、警察沙汰にして来たと考え、私が送ったメールは全て証拠として取っておいた。
その後、崎谷側の弁護士が、崎谷に送られた「ストーカーメール」の具体的な内容を、正式通知文書に明記して来たが、それが「書き換えた証拠」となった。もし現時点で、もし崎谷健次郎が自分が読んだ「ストーカーメール」の内容を記憶していれば、私の実際に送ったメールを見れば、かなり内容が異なる事は解るだろう。
再びの実名告発ブログ
2019年に書いた実名告発ブログの内容は、当時の日本人にとっては、ここまで長期で卑劣なストーカー行為は「理解しがたい」ものだったと思う。また、「真犯人の普段」からも、想像さえ出来なかっただろう。結果、私をストーカーだと思い込んだ崎谷健次郎と警察が、私の話も一切聞かず、捜査も一切せず、私をストーカーにでっち上げ、妄想症にでっち上げた。
昨年、事件サイトも開設し、私の「正しい不起訴理由」も公開し、改めて、この卑劣な虚偽告訴事件、というより、自殺殺人未遂事件の犯罪手口や真相や真犯人像や動機を書いている。私は、特に有名では無いだろうし、崎谷健次郎も警察も大した社会的影響は無いので、放置して問題無いと思っているかも知れないが、この事件は「余りにも卑劣過ぎる内容」であるし、「虚偽告訴犯罪に発展した」こともあり、「冤罪防止に向けた活動」など、社会でこの手の情報を必要とする人々には確実に広まっていくだろう。
何度も書いているが、これで、崎谷健次郎、又は、吉國一己などから、再び、ストーカーだの名誉棄損で刑事告訴されれば、今度は、渋谷警察署も、検察と連携し、「ストーカー真犯人」の検挙へ動くだろう。仮に、再び、私が送検となっても、今度は、検察が「真犯人」の検挙に動くだろう。崎谷側の誰が刑事告訴しても、事件の捜査をすれば、真犯人が浮かび上がり、崎谷健次郎は虚偽告訴で起訴になる。
検察へは、「もう一回、送検されれば良いんですよね」と言っていたし、いつでも覚悟は出来ている。そうして、全部、白日の下に晒したらどうか。
前回までのブログで述べた様に、崎谷健次郎は私にとっては「ツインレイ」であると思う。しかし、そうした「愛情」と、「冤罪捏造」や「虚偽告訴犯罪」の問題とは別である。社会に対して、自分の犯した「虚偽告訴という罪については、謝罪し、何らかの償いを行うべきだろう。今後、時効が来たとしても、罪から逃げおうせた「未検挙の犯罪者」である事実は生涯変わらない。
人間として、それで良いのか?
吉國一己は、私の人間性を良く知っているが、「安直」なので誤解してたようだ。私は、愛情で犯罪を見逃す人間ではない。多分、これは崎谷健次郎も同じ考えだと思う。私の気持ちは理解してくれるだろう。
だからこそ、私が、崎谷健次郎を虚偽告訴で刑事告訴すべきでは無いかと思う。
渋谷警察署は、今度は、この卑劣な虚偽告訴事件を捜査してくれるだろうか?
私は、明らかに、警察を騙す意図で最初から仕組まれたと思う。
「真犯人の検挙」以上に、「ダブル・ストーカー手口」の解明、そして、双方を対立させて更に深刻な「犯罪」を誘発させる「一連の犯行手口」を、社会に「犯罪記録」として残すべきでは無いのだろうか?
崎谷健次郎は、この事件の「社会的な意味」をきちんと理解出来ているだろうか?
崎谷健次郎は、この事件の結果を目の当りにし、私が指摘した通り、自分が「洗脳状態」である事に気が付いただろうか?
この事件は、崎谷健次郎の「思い込み」が最大の原因。「真犯人」を無条件に信じ込んだ心理がある。「無条件に正しい」と信じ込んでいる時点で、「洗脳状態」だろう。「洗脳状態」だから、自分の目や耳で事実を確認しようせず、虚偽告訴するという結果になった。自分の事実はきちんと見て欲しと思う。
崎谷健次郎の刑事告訴
私は、今後、早めに何でも良いから仕事を決め、ある意味、再び「戦闘態勢が整った」ら、この事件を「社会的な記録として残す」ためにも、崎谷健次郎を虚偽告訴で刑事告訴すべきと考えている。
今度は、渋谷警察署にも、虚偽告訴事件に実際巻き込まれた当事者として、私の意図を理解頂けると信じたい。崎谷健次郎が「ツインレイ」であるなら、尚更、私の意図に協力させるべきだろう。実際に自分がやった犯罪行為であるのだから。
その為にも、私の方からは、二度と、例えば、弁護士を通じて「謝罪しろ」のようなご親切も、事務所へ「謝罪しろ」とメールするような「ご親切」はすべきでは無いと思っている。
一方、崎谷健次郎が、反省し「謝罪する気が無い」のなら、「謝罪」しなければ良い。
実は、私の方からすれば、「謝罪」されてしまうと、その時点で、私の「神道的な道理」から、「刑事告訴を断念」しなくてはならない。「反省し謝罪しているのなら、許さなくてはならない」し、「社会的な記録」は「逮捕送検」や「刑事裁判」である必要は必ずしも無いが、このままで放置すべきではないと思う。