母の百箇日

母の百箇日

昨日15日は母の百箇日だった。母が亡くなり、アッと言う間に3カ月が過ぎて行った。本来であれば「納骨」を済ますところだが、葬儀関係は兄が全て取り仕切っており、兄がまだ納めるつもりでは無いようなので、そのまま私も何も言わずにいる。2019年の事件では本当に全て失った。虚偽告訴の脅迫は未解決で継続していたものの、経済的に少し体制を整え出した矢先だった。多分、崎谷側の弁護士が吉國一己と鶴崎江理子と組んで、警察を騙したのが原因かと思うが、結局、警察が私に不起訴理由詐欺を行ったことで、崎谷側に損害賠償請求する時期を逸した。事件で母親が寝たきりになり、介護中心の生活。母が8月に突然亡くなったが、経済的な基盤や再就職の準備など一切して来なかったから、今は本当にお金が無くて大変。

悲しむ間もなく、葬式の翌月から仕事に就いて今も就業中だが、余りのも目を酷使する仕事で、超眼精疲労状態。実は、かなりブラック。筋弛緩剤の入った目薬で痛みを和らげながら続けている。企業からは来年の年度末までオファーを頂いたが、普通のライトの光が眩しい状況なので、「年内で契約終了したい」と告知した。他の派遣社員も殆どが契約更新せず最短で辞めてるよう。こんな仕事を延々と遣る人間がいるのかと思うが、会社的には「使い捨て」が出来れば良いというところだろう。

私が「福の神」なのは以前のブログでカミングアウトしたけど、私が就職や就業した企業は私が関わっている間だけは「必ず栄える」のがジンクス。それなりに「今井効果」が出るには多少の時間がいるし、そういう「よろしき会社」は、社員の方が不思議と私に優しくしてくれたり待遇を良くしてくれる。なので、自然と長く居られる。これまで長期に努めた企業は、私がいる間に「最大大手」に拡大したし。

一方、「駄目な会社」の場合や「退出すべき時」は、なぜか「困った事」や「嫌な事」が起きる。今回の会社では、不思議と、最初から私を無視したり嫌な顔をする人がいた。その後も「居心地が悪い」し「無理難題」を平然と押し付ける。私は自分を「沈没船から逃げるネズミ」とか言ってるけど、そういう会社からは速攻去って行くようになる。一日PCを見てても全く問題無い丈夫な目のはずなのに、なぜこんなに痛いのかと思う。

ちなみに、父方の伊勢屋今井の家系は、一族皆な「店に入るとお客が来る」のが当り前で、「客を呼べる」のが「一族の証」。子供の頃は、父とか伯母とかと「ガラガラの飲食店」に入っては「満席に出来るか」の掛けをしてた。我々にとって外食と、その店に「お客を呼ぶ=儲けさせる」ために行くものなので、店が混んで店員の対応が遅れて当然。周囲の客を優先するように店員に言うし、下手すると手伝う。飲食店の店主には、この世に「不思議と客を呼ぶ人」がいるのを実体験で知ってる人も多いので、3回位行くと一品サービスしてくれる事も多い。ただ、こうした力は「頑張る人の為に使う」べきもので、「何かを貰うためでは決して無い」ので、何か出て来たら行くのを止める。

汐留の会社を退社してからは外食の機会が著しく減ったし、「長年私を痛めつけようと策略する連中」がいたので、その連中を「栄えさせない」ために、そういう風に力を使うことを一切止めた。ストーカーの濡れ衣は20数年前からだったが、それよりずっと以前に、ポニーキャニンオンが大嘘を吐いて以降、私は、崎谷健次郎が「絶対に売れない」ように、木曽御嶽の神々はじめ全員に「念じて」来た。崎谷健次郎が売れて栄えたら、私が個人的に「決着を付ける」為に「会いに行けない」から。当然、音楽業界も栄える必要無い。私の力(怒り)など誰も信じないだろうし、それで良いが、私は少なくともその様に思い、そのように力を使って来た。最終的には「天の者ども」の判断だし、「修正する時間」も与えらえる。大きな物を動かすには時間も掛かる。ただ、私の意図して来た通りに、崎谷健次郎も音楽業界も衰退の一途であることは確か。

私としては「汐留の勤務先の前」で崎谷健次郎が私の誕生日に合わせて毎年ライブを始める様な事が無ければ、そのまま「二度と会いに行かなかった」と思う。しかし、私が「念じた」通り、崎谷健次郎は「全然売れなくなった」のは確か。なぜあそこまで「人を陥れる汚い手口」を繰返したのかは不明にしろ、個人相手に「音楽教室」を開き、私と言う単なる「一個人」が直接会いに行ける状況が生まれた。崎谷健次郎が「YOSHIKIさん」のように有名人だったら、そのような展開自体が起こり得なかったから。

崎谷健次郎には、ポニーキャニオン宛てに月に一度ほど手紙を送っていた時期があり、その頃に「私には酷い事をするな。もし遣れば自分に何倍もの災難になって返る。また、第3者を絡めるな。自分の事は自分が全て一人で解決するように」と警告していた。崎谷健次郎が関わらせた「無関係な人間」が私に対して「嘘を吐く」とか「怒鳴る」とか横暴を行えば、本来「無関係な人間」にも関わらず「大きな災難と悪運」を与えることになるから。そう言えば、崎谷健次郎が湯島に住んでいた時、崎谷の代わりに電話をして来て「私を口汚く怒鳴った男」は今も音楽業界に居るのだろうか? ドラマーと言っていたが、交通事故で引退とかになっていても不思議は無い位に「私の人生を破壊する行為」を遣った。特に「報告が無い」ので「引き続き苦行中」という事だとは思うが、決して楽な人生では無かったと思う。私は名前も記憶していないし、どういう人間かさえ一切知らないが、酷い真似をした人間には、その人間の「魂の成長」に最も適した形で「何かしらの災難不幸(修業の機会)」が与えられるよう。2019年の事件では、警察が多数関与した。本来は、警察が出て来る必要さえ無い事件だったが、崎谷健次郎が関与させ、結果、警察の刑事が横暴非道を繰返した。私には謝罪に来ないので、夫々の人間が、夫々に見合った内容で、天罰(魂の苦行の機会)が与えられるだろう。これまでの実例を考慮すれば、本人だけでなく、その周辺の人々にも害が及ぶ。「なぜこんな目に遭うのか。自分の何が悪かったのか」と自問する時が来たら、きっと「私の怒り」の大きさと自分達の極悪非道な振舞いについて反省するようになるだろう。人とは、そこまで「痛まない」と決して罪を認めず、人間としても成長せず、同じ横暴非道を繰返す。崎谷健次郎が一人で動かない事で、本来無関係な人間の運命が狂ってしまう。あの事件が無ければ、警察内で普通に出世し普通に良き先輩になる「本来は善人」だった。あれだけ遣った以上、私が人生を完全に潰すことになるだろう。不倫したと嘘を流した小倉?とか言う芸能人は直後にガンでほぼ引退。三浦瑠璃とかいう人は夫が詐欺で有罪。自分も関与してたようなので起訴されたのだろうか。事件後、不当な誹謗中傷に怒り、「二度と公共の場で口を開かせるな」と言ったので、やはりその通りになったよう。

崎谷健次郎は、今も、母に対しても、私に対しても、謝罪に来ない。

結局、2019年のストーカー虚偽告訴事件は、崎谷健次郎が全て企てたのが真相。もちろん、吉國一己が後ろで操っていたのも事実。鶴崎江理子が私からの普通のメールをストーカーの脅迫メールに書き直して、崎谷健次郎に送っていたのも事実だろう。だが、私にストーカー電話していたのも、私をストーカーにでっち上げたのも、崎谷健次郎が全て自分の意思でやったこと。私が見捨てたと思い、恨んでいたのかも知れない。

私は「霊力者」なので、全部見えているし、全部解っている。崎谷健次郎がストーカー犯人だと言うべきでも無いし、吉國一己と鶴崎江理子が「自分の金づる」をキープするために、今回の事件を仕組んだのも事実。弁護士の田瀬英敏が、大金貰って、ストーカー被害を弁護士として公式に「でっちあげ証拠」を作り警察へ提出したのも事実。仕掛けた黒幕が最も悪い。だが、崎谷健次郎は結局一番悪い。

2019年の事件後、自宅に戻ってから、私は「激怒」が収まらず、「崎谷健次郎がライブを遣るなど言語同断」と「天の者ども」に念じた。2019年の年末は、図々しくも、再び「汐留」で行ったようだが、私の「念」が通じたのか、2020年早々から「コロナ」が流行り、ライブが全国的に禁止になった。結果的に、出来なくなったと言える。そして、その後も続いた。偶然かも知れないが、昨年、私がこいつらの「極悪非道」をHPに公開し、社会の認識が少し正されて来た今年の夏くらいまでは、社会として「ライブ」自体が気安く出来ない状況が生じていた。

一方で、私の激怒はまだ収まっていないので、崎谷健次郎が「私に謝罪も無く」、今後も、図々しくも、ライブや音楽を通じ、世間に「愛の歌」を歌うのなら、その厚かましい行為を「完全に封じる」ような「何か」が再び起きるかも知れない。今度はもっと個人的に起きるとは思うが、全国的に起きないとは言い切れない。2019年の際は、私は全国の人々から誹謗中傷を受けた。日本人全員では無いにしろ、その特定の一人に「返礼」するには「無関係な人々」も巻き込むことになった。と私はこれまでの事例から思っている。私は、それ以前の時は、毎回毎回「日本に広がらない」ように、連日、毛が逆立つ位の思いで「祈念」して来た。2019年からは一切止めた。崎谷健次郎がライブをやるなら、私は収まるようには祈念しない。

台風に付いても同様。私は「非常なお天気女」でもある。子供の頃から、台風で大きな被害が出て、農家の人々が苦しむ事の無いよう自然と祈念するようになった。同時に、日本に十分な水源を確保しつつ被害を最小限に抑えつつ、台風が絶妙に抜けて行くよう、毎回毎回「台風」の位置を確認しては念を送って来た。

もちろん、そんなのは「私の勝手な思い」であり、本当に、自分の「逆毛立つような念」が何かに影響していたかも解らない。これまで母親以外には誰にも話した事も無い。一方で、崎谷家次郎の「東京タワーでのライブ」の時に「雷を落としてやる」と思い、1週間ほど台風を止められるか試してみたことはある。相当大変だったが、結果的には、念じた通りになった。これが単なる「気のせい」か、本当に「霊力がある」かは知らない。ただ私はそう思って、長年、いつも祈念してきた。だが、2019年の事件、厳密には、前年の2018年3月に崎谷健次郎が虚偽告訴した時点から、「そのように祈念する」ことを一切止めた。それ以降、特に2019年以降は被害が多くなった気がするし、大阪に抜けた台風が逆行し、崎谷健次郎の故郷も何度か水浸しになったよう。

崎谷健次郎が私に謝罪しない限り、こうした事は今後も続くと思う。崎谷健次郎は、NYで会った直後から、私をからかう目的で、私が「崎谷健次郎は私を愛しているのでは?」と勘違いする様な「変な楽曲」や「アルバム」を何度もリリースして来た。2011年に汐留でライブを始めて以降は、「おびき出す」目的で、そうした曲をリリースしていたよう。私はだからずっと前から崎谷健次郎の楽曲は一切聴かない。HPもブログも無視している。それに本人が書いているかどうかも解らない。明確な事は何も解らない以上、二度と情報操作に遭わないためには、見ないのが一番。

私は「全て解っている」が、その上で、今回の件を「平和解決」で納めたいと思って来た。だからこそ、崎谷健次郎が、あくまでも私に謝罪しないのであれば、ライブを遣る事は許せない。音楽家であるべきではない。もちろん、私は物理的には何もしない。ただ、私の「使命」のために共に動く「天の者ども」に「祈念」はする。実際には山に行く必要も無い。これも自らの修行の内だと思っているし。それに、崎谷健次郎が、現状で仮に栄えれば、邪悪な悪魔の吉國一己が、自分の友人を使って自殺殺人を企てる「資金」と「社会信用」を得ることになる。だから、あいつらと仲間になっている崎谷健次郎は絶対に売れないし栄えない。仕事の依頼も来ないよう、音楽業界自体も引き続き更に衰退させなくてはならない。ファンや関係する人間達も含め「関われない」ようにするしかない。これ以上、私の様な目に遭わせてはいけない。穢れた悪魔2匹については、早急に「日本から排斥すべし」と伝えているが、そこからは「天の者ども」が決める事。鶴崎江理子が実は「困った人達にボランティア支援する」ような「善人」かも知れず、有得ないにしろ、最終判断は私は顔も知らない以上何も出来ない。ここにこんな事を書くのは、何か起きた時に誰かに教えて欲しいから。今回は、心行くまで「実験」に使わせて貰うし、単なる気のせいか私も検証したい。

そして、こんな話をしても誰も理解出来ないが、崎谷健次郎が「最後までどこまでも動かなかった」事で、私も「天の者ども」も動けないで終わることになる。というより、崎谷健次郎が多分最終的に「キー」になっているのかも知れない。我々がこのまま完全に縁が切れるのであれば、近い将来、日本は100年前と同じ道を選択することになるだろう。その選択を阻止するため、東北大震災の時と同様に「大きな災害」が起きる。「大きな災害」が起きれば戦争参加を回避する理由が出来る。しかし、次は、それでも、日本は同じことを繰返すだろう。現状、政治では止めようが無い。日本は依然世界から誤解を受け続けている。再び、利用され、結果、多くの人々が亡くなるのだろう。それを考えれば仮に声が潰れても当然の報いと思う。

私は昨夜常日頃からお世話になっている神田明神へ行き、私は「任務を遂行出来ないし、もう無理だと思います」と伝えた。祖父と父から「歴史資料」を引き継いでから、いつか「日本の名誉回復」とその延長線上にある「世界の平和」に向けて「切っ掛けを作る」ことを「使命」と思って来た。南京大虐殺の真相は、韓国を抑え込む必要性からだが、そんな思いが基盤にあった。音楽についても歌についても、私の場合はそこが基盤であり、そう思っては来たが、私だけで出来るものでは無い。崎谷健次郎だけでなく、日本の音楽業界の人々が団結して取り組んでも「上手く行く」か解らない程の大事と思う。

私は神様に何度か遭遇しているし、信じているというより、知っているに近いが、神様も間違えることはあると思っている。それに、神様という存在は強要はしない。最期は、人間の意思で選ぶかを試す。私もまた同様に、「救うべき」か「罰されるべき」かは人が決めるものだと思っている。無理に流れを変えようとしても、人の流れは変わらない。

ただ、30年前、崎谷健次郎が湯島の私の自宅前に住んでいた時、朝、駐車場から歩いて戻るのが12階の部屋から解る程に、大きな光が出ていた。私は、「天の者ども」が、私が間違えない様に「示した」と思った。だからこそ、何とか直接的に話をしようと試みたが、下らない馬鹿男が間に入り込み、その後は拗れ続けて2019年に至った。私は、もう十分に頑張ったと思う。あんな事態を耐えても、先へ進む道をずっと模索した。しかし、もう疲れたし、自分の相棒とも言える人間が「こんなに腐っている」以上、過去の繰返しを経るのが妥当ともいえる。なので、昨夜は、神田明神に行き、何度も謝罪して来た。

その上で、残りの時間は、これ以上一人きりで生きなくて良いよう「誰か」私を救ってくれる人に巡り会わせて欲しいと頼んだ。神田明神には、会社が栄えるようにとか、友人知人が上手く行くようにとか、修行の機会を与えて欲しいとか、色々頼みに行き、そのように力を貸してくれる。それで、今日は、思い切って「お見合いパーティ」とやらに行ってみた。私の場合は、「行くべきでない」時は不思議と雨が降り、それでも行けば電車が止まる。2017年に崎谷に会いに行った時も「電車が止まった」ので、その時点で「上手くはいかない」と思ってはいた。今日は少なくとも「綺麗に晴れ上がった」ので、「許し」が出た様に思う。私は、これ以上、一人でいたくないし、一人では生きていけない。天の示す者でないなら、要は、誰でも同じであり、私が尽くして仕えて「人を幸せにする修業」をさせて頂ければと思う。

私は、人は未熟だからこそ人であり、過ちを繰り返して成長するものと思う。だから、今回の事件も、崎谷健次郎がやった事はさておき、きちんと自分の悪かった点を反省し、痛め付けた相手に謝罪する心があるなら、それで済ませるべきものと思って来た。しかし、崎谷健次郎は、自分の極悪非道を理解していても、反省し、謝罪することは無いだろう。引き続き、怨霊が纏わり付く邪悪な吉國と鶴崎と、縁を続けて行くに違いない。私の考えや天の者どもの思いはそれはそれ。人は自分の意思で自分の選択をすべき事であり、邪悪な悪魔2匹を選択するのも崎谷健次郎の選択であり、我々が我々の思いを強制すべきではない。ただ、これだけの事をしでかした以上、私はライブも音楽もやるべきでないと判断する。なので、そうなるだろう。何がどうなるかは解らないにしろ、崎谷健次郎に関わる者にも不幸と災難が続くに違いない。死人も出るだろう。崎谷健次郎は意地でも信じず、そこまで行っても、私には謝罪する事は出来ないと思う。やがて最悪の事態と思う。私が出来ることは、最悪の事態の回避方法を伝えるくらい。

私をこれまで支えてくれた人は、母が亡くなり、一人も居なくなった。残りの人生、誰か私が「仕える主人」が見付かる事を願う。仕事があるので朝昼は食べるが、夜、母の遺骨にお線香を上げ、自分の部屋に戻ると、長時間経っているのに食べたいという感じがない。次の日起きれないから多少は口にするものの、一人では食べる気さえ起きない。誰かいれば、その人の為に作り、一緒に食べる気も出るだろう。顔に余り出ないので、誰も気が付かないが、「食べたくない」で過ごしているせいか、流石に痩せて来た気がする。でも、亡くなった時の姿が脳裏に繰返し蘇り、折々パニックだが、これも当分続くだろうから、食べたいという気持ちになれない。誰か一緒に食べる人を見付けなくてはと思う。

母が逝って3か月経ち、母が来ていたパジャマを実家から全て回収し洗濯し直して、全部、衣装箱に収めた。時折、パジャマのポケットから、母が使って入れたティッシュが出て来る。そんな普通ならゴミが、私には捨てられない。本当に最期まで迷惑を掛けてしまったと思う。今井さんの所は「良くやっている」と訪問看護師の方々に度々言われた。自宅で看取って貰えるなんて最高の最期だと思うと。私は、でも、結局、何も出来なかった。ある意味、自分の事で精一杯だったかも知れない。母は許してくれているのだろうか。

崎谷健次郎がきちんと謝罪に来たら、私もきっと心が少し軽くなるように思う。
それまでは、心から笑えることは生涯無いように思う。

だから、一生、心から笑えないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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