母親の最終期
先週から母の容態が更に悪化して来た。心臓疾患は呼吸器にも問題が生じることが多く、私の母は10年以上前から簡易人工呼吸器を使っている。2019年の崎谷健次郎による「でっち上げストーカー冤罪」で逮捕された際、警察が犯罪隠ぺい工作を行い、結果、私は不起訴確定後も「不当な監禁」を受けた。
これについては、そろそろ暴露しようと思うが、そうした「処理」をしておけば、私が世間から「誤解される」のを恐れ、事件のことをネットで公開することは無いだろうと考えたようだ。私は、間違った事はしないし、確固たる理由の無い事もしない。幼少期から精神的には極めて強固であるし、仮に自殺するなら自殺するなりに、「世間に無実を訴える」という目的と理由がある。私を陥れたつもりだろうが、そんな小細工に屈するような人間では無い。
2019年の崎谷健次郎らによるストーカーでっち上げ事件で、あそこまで卑劣な真似をしなければ、私の母親がショックで寝た切りになることは無かった。どちらにしろ、いつかは「肺の機能が落ちて」しまい、最後は、本格的な人工呼吸器の装着となるにしろ、あんな仕打ちさえ無ければ、もっと良好な状態で長く生きれたと思う。
今後、人工呼吸器の装着となれば、1週間から10日以内には、装置を停止する判断を迫られる。もちろん、人工呼吸器の場合、装着する時点で、自分の呼吸を止めるため、実質的に「死亡した」のと同じになる。肺が機能していない以上、そのまま苦しみもがいて「窒息死」に至るか、取り敢えずでも「眠り」の状態にして「眠りながら死ぬ」かの選択しか無い。
現状、自呼吸で二酸化炭素の排泄が上手く出来ないようで、酸素吸入だけだと、相当息苦しい状態になって来ている。私は人の病を治す力があり、身体に触れると、相手の症状が移る。一種の気功に近いのではと思うが、私の身体の反応が強い程、相手の病状が軽くなるようで、私は「病を吸う」と言ってる。ここの所、連日、母親に触って「吸っている」が、触ると心臓がバクバクし、左胸に吊れた痛みを感じ、息苦しくなる。今回は、それでも、思った程には回復して来ない。つい少し前までは、私が抱きかかえれば立てたが、今はベッドでの寝返りも一人では出来なくなった。
多分、近い将来、人工呼吸器の装着の判断を迫られるかも知れない。私は、人の人生とは「魂の修行」だと思っているが、一生殆どを病に苦しんで生きる人が時折いる。私は、そういう人を看守るのが「人生の課題の一つ」なのだろうが、余りに苦しそうな姿を見ていると、なぜここまで「辛い目」に遭うのかと思う。長年支え合って来た母親の死を恐怖に思う一方、早くこの苦しみから解放して上げたいと思う。人の寿命は神様の領域であり、私には何も出来ない。ただ、お互いに、その時を待つしかない。
母を看取るのが私の責任だと思っているが、母がいない世界を、今は想像すら出来ない。ただ、悲しい事実だが、私も、ある意味で、自由になるのだろう。
私は、長年、崎谷健次郎に対しては、「私の母に謝罪しろ」と言って来た。今もそう思っている。しかし、あの虚偽告訴犯罪者には、そんな良心など期待しても意味が無かったのかも知れない。ある人が、私がHPやブログで何を主張しようとも、「私の無実は、崎谷健次郎が私に謝罪しない限り、証明される事は無い」と言っていた。
私としては、あんな腐った人間でも「良心はある」と信じたかったが、結局は、悪人とは「社会的に制裁を受け」なければ、自分の悪事を悔いることは無いのかも知れない。私は、純粋な日本人だから、純粋な日本人の感覚で物事を考えてしまうが、日本人で無い連中であれば通用しないのだろう。
なので、母親を看取ったら、崎谷健次郎らを刑事告訴しようと思う。
検察へ刑事告訴状を送ったところ、渋谷警察署へ行くようにとの事だったし、2019年時点で、冤罪逮捕を図った生活安全課の6人は全員異動になったようだ。新しい刑事らであれば、虚偽告訴罪での刑事告訴が可能かも知れない。
というより、渋谷警察があいつらを逮捕送検しなければ、渋谷警察が一方的に「冤罪逮捕」した事実は、永久に、覆らない。一方、もし、私の刑事告訴により、あいつらを検挙したとすれば、仮に前回が冤罪逮捕だったとしても、それは単なる誤認逮捕であり、意図的に冤罪捏造した訳では無い事が証明される。誤認は1度目は合法的に許される。だから、もし検挙すれば誤認が証明され、検挙を拒否すれば「冤罪捏造」が証明される。
渋谷警察の対応を確認した上で、私の方も「最終的な結論」を下すべきと思う。私は非合法な真似や悪い事はしないが、良きことも悪きことも、遣られたことは「1000倍返し」と思っているし、相手が屈するまで「徹底的に遣り返す」主義だ。元々、売られたケンカだし、私は、最後まで、徹底的に戦う。
結局、世間では、あいつらが謝罪しない限り、私の無実は証明されないのであれば、謝罪させるか、謝罪以上に、あいつらにとって取り返しの付かない状況を生み出すしか無いだろう。
母親の死に顔を見れば、私も自分にGOサインを出せる気がする。