神道を生きる

神道とは?

神道は、日本という国家の「理念」だと私は考えております。

その「理念」に至るために「宗教」を通じて学ぶのが、神道の基本的な考え方だと思っています。
心が混迷する昨今、我々日本人とは何なのかを、私の修行人生からお話してみたいと思います。

日本人に戻ろう

日本では明治に入り、「神仏分離」政策が取られました。これは、神社から仏教的な要素の排除する政策で、江戸幕府が仏教信仰が強いと認識していた「新政府」が、天皇家による直接的執政の政府体制に移行するにあたり、「天皇家=神道」として、海外から導入された宗教である仏教の排除を行ったものです。

「神道」とは、本来、神と仏による「神仏習合を基本」として成立していましたが、「神道」は神だけという考え方になってしまいました。一方、「神道」には「仏教の様な具体的な教えはない」ため、「神道」に偏った結果、多くの人々が「何を正しい」として生きるのか、心を穏やかに保つには「どう生きれば良いのか」、日本という国として「方法論」を学ぶ場所が失われ、結果、日本という国の「理念」が良く解らない状況に陥ってしまいました。

神と仏は、陽と陰であり、人の心とは陰と陽があるのが当然であり、陽だけで生きることも、陰だけで生きることも出来ません。両方が適度なバランスを保つからこそ、心も平穏に保てるものです。

明治以降、戦前は、まだ「神仏習合」の発想が残っていました。戦後は、日本が負けたことで、神社への信仰が薄らぎ、先祖の墓地など人の人生に近い仏教が復活して行きましたが、結局、陰陽のバランスが取れていない状況は続いていると思います。

私がここで語る「神道」とは江戸時代以前の「神仏習合」を基本とする「神道」についてです。「神道」は本来「神仏習合」でなくてはなりません。この「仏」は、単に「仏教」だけでなく、全ての「教え」を表します。「教え」を学ぶからこそ、神の道を歩けるのであり、何も学ばずに歩く事は出来ないのです。また、それは一つの教えだけで終わるものではありません。

心が迷うから、救いを求めて、様々な宗教団体へ入る方が多い時代と思います。ですが、教典はどこでも手に入りますし、学びたければ自分で学べが良いものです。むしろ、自分が一人で学び取らないと、自分で人生の判断が出来なくなってしまいます。

だから、「神道」は、どこまでも一人で歩く道なのです。その本来の道へ戻ることが、日本人へ戻ることになると私は思います。

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