木曽御嶽山について

木曽御嶽山について

木曽御嶽山とは、私が幼少期に「神道の修行」で登山参拝していた山であることは、これまでも何度もブログに書いて来たと思う。本日は思い切って、この霊山について語りたいと思う。今回のブログもかなり長くなるので、もし読む方がいればだが、何度かに分けて読まれると良いかも知れない。神道についても、少し語ってみたので。

私は幼少期から何度か実際に人々が神様と呼ぶ「光」を見ているが、最も多いのが木曽御嶽の山頂の社だった。他の神社の社や、巫女だった伯母の祈祷では、その光の中に入った事もあるから、神様とは「信じる存在」では無く、「そこにいる存在」になっている。私にとっては、「神様は心に居るもの」では無く、神社に居るし、山に居るもの。もちろん、神様のいない神社や「変な霊」のいる神社もあるが、どちらにしろ、「そこにいる存在」である。

一方で、私は、所謂「霊能者」と呼ばれる人々の様に、浮遊霊(人間レベルの魂)をリアルに見ることは殆ど無いし、霊体と話せるという事も無い。そもそも、私の理解では、霊体は基本的に人間の様には声を出せない。出せないので、壁など叩いて「音を立てて」存在を示す。触ったり、上に乗ったりもあるが、何かを直接言われた事は無い。ただ「共感」し「意図を受け取る」とか自分の身体を貸したり、入り込んで何か言うという事はあった。また、多分、私は本当には全て見えているかも知れず、例えば、多くの人が亡くなった場所では、無数の霊体(人々)が目の前に右往左往する姿を見たし、彷徨う霊が次々に自分の身体を抜けて行く感覚も知っている。しかし、当然、それでは日常生活で「気が狂う」だろうし、それ故か、通常は、守護の神々により「フィルター」が掛けられている様で、「見える者」、「見るべき者」、「見なくて良い者」と、相手と状況により見え方も異なるよう。

私は、だから、一般に言う「霊能者」ではない。増してや、誰かの個人情報(親や姉妹兄弟の名前や住所など)を、わざわざ「霊力」を使って知る理由も必要も無い。そんな事に興味も無いし、「霊力」とは本来「そんな下らない手品」に使う物では無い。探偵でも雇えば幾らでも調べられる様な事に「霊力」など不要。もし敢えて「本当に出来る人」が居るとすれば、それは「テレパシー(念波により相手の記憶を共有する力)」であり、私の言う「霊力」とか「霊能力」とは異なるとの理解。英語では「サイキック(psychic)」だが、日本語の「霊力」とは「Soul Power」に近い。

以前、ツインレイのブログで述べたが、人間は輪廻転生を繰返し、分離分散していた魂が折々の段階で「統合」して行くのではと思う。人を見ると、「魂の重さ」というか「魂の質量」に違いがある。「魂の質量」の大きい人間の方が、不思議を目立つし、大勢の中で一人だけ目を引く。そうして、「神霊」レベルの「強大な魂」へ統合融合して行く過程での「最終段階」において「ツインレイ」という存在が出て来ると理解しているし、実際に、サナンダのメッセージにはそうした内容が書かれていると私は理解している。

私にとって、「霊力」とは、自分の魂を「神域」へ近付けるための「訓練用に持つ力」であると考えている。「教育課程」である「宗教」の「修業」とは異なり、寺院や修道院など特定特化し隔離された場所での「集中教義」や「集中訓練」ではなく、「実践課程」として、実際の人間の社会の中で「人の幸せとは何か」を常に観察し考え、霊力により「多佳」を施し、場合によっては、「相手の魂の成長を促す」ために使うべき「神通力」との理解。また、私の場合は、それ以上に、日本への世界からの誤解を解き、「日本の名誉を回復させる」ため、また、少なくともその「切掛け」を作るために、通常の「行者」よりも「特別な力」を得ていると思っている。そして、祖父もそうだが、「霊力者」は「霊力」で「お金を稼いではいけない」し、それ以上に困ったからと言って安易に他人を頼ってもいけない。なぜなら、「神は人間に頼らない存在」だから。安易に頼らず、自力で乗り越える力があって初めて、「神域」に入れるという理解。だから、自分の生活は自分の範囲で慎ましく最低レベル生きて行ければ良いし、そうした「心得」で無ければ「神々は応援しない」と思っている。だから、「霊力」でお金を得てはいけないと思っているし、それを遣れば、力は失われると思っている。神は常に「与えるだけ」であるから。

木曽御嶽山とは、そうした行者の私が「神への修行」に行っていた場所であり、私は「神の光」を見ている。
あの山は、本物の霊山であり、要は、「神々の存在する山」である事を述べておきたい。

 


木曽御嶽山という不思議な山

次に、木曽御嶽山がどんな山であるかについて、具体的に、私が実際に体験した事をご紹介したい。私は、あの山は、行者では無い人々や安易な観光客が遊びで立ち入るべき場所では無い。その理由を少しでもお伝え出来ればと思う。

世間の人々は、年始に神社に延々と並んで参拝するが、実際には「信じていない」のが本音だと思う。我々が「用が無い人」には「会いに行かない」のと同じで、普通に生活している人々には「神様は特に用は無い」から、当然、出て来る事などまず有得ない。それに、もし私の様に「何度も見てしまった」としたら、人間の生活を通じての課題になど手が付かなくなるだろう。例えば、自分と「ご縁」あって結婚した夫、自分が生んだ子供の食事を作るのが「面倒臭い」と文句を言う時点で、自分にとって「何が最も大切な存在であるか」を十分に理解していないし、そこで「彷徨っている」時点で、神様からすれば「代行任務」は任せられない。だから、見なくて当然だと思うし、信じられ無くて当然と思う。

ちなみに、私は母の介護をしていたが、精神的に万全では無く、食事を作ってはいたが、母には「こんな程度しか遣れなくてごめんね」といつも言っていた。ただ、心のどこかで「母と食事できる」ことに「感謝」を感じて生きていた。私は、最後にこれを悟ることが、私が重病人の母と長年に渡り人生を供にして来た理由と思う。「今日も一緒に食事が出来た」ことが有難いし、最後は、「ただ生きていてくれれば良い」と思った。自分の家族に対して、そう思えれば、「生きている」だけで人生は十分幸せでは無いのかと思う。人間の幸せなど、そう思える人が一人いれば十分で、それで生きて行けるのでは無いだろうか。だが、多くの人は自分の幸せがどこにあり何であるかをまず解っていないのか、ただ漠然と「幸せになりたい」と願う。そして神社で「幸せになれますように」と祈念する。ところが、具体的に何をして欲しいかは言わない。本気で祈念もしてない。解らないからと思う。、だからこそ、ある意味、その答え(自分の幸せとは何か)を見つけるのが、人間である理由であり、人生として(人間の生活を通じて)の「課題」ではと思う。私も、人間として、課題を熟すべく生きている。母を自宅で見送ることを優先したため、この数年、経済的な基盤を一切考慮せずに来た。結果、現状、非常に苦しい状況。それでも、仕事にも行けているし、明日の食事は何とかなっている。私は自分を不幸だとは思っていないし、こうして生きて行けているだけで十分幸せだし、仕事に行ける事だけでも十分に感謝している。それが課題をクリアすることかと思う。

私は、神からすれば、まだまだ冗談レベルで未熟。だが、そこまでは何とか達したし、幼少期から山修業に行く身であり、私の祖父もかなりな霊力があった様で、要は、他の人々よりは神様達にとって「使える存在」なのではと思っている。今こんな事を書くのも、こんななのも、私が神様達に比較的「近い人間」だったからだと思う。霊体である「神様」には「人間の世界の事は出来ない」から、私の表な「代行任務」を担う人間が居るのかも知れない。だから、折々、必要に応じて、神様が現れるのかと思う。多分「ここにいるぞ。見ているぞ」と言いたいのかも知れない。私は、こんななので「神様がいる」と言うが、他の人達は「課題の途中」であり、当然神様を見ることは無いだろう。見た事が無ければ、「もしかしたら、そうかも知れない」程度にしか思えなくて当然。ただ、木曽御嶽では、幼少期に、田の原の山頂のお社へ入ると、奥のお社の扉附近から光が出ているのを毎度の様に見た。私は「神」と信じるだけで、それをどう信じようとそれは個人の問題とも言えるが、私はその光を「神」だったと思っている。

神道という理念

神道では、「教えが無い」と同時に、「人から教わらない」し、「人に教えない」のが鉄則と思っている。全て自分で対処出来なくては、神域になど達しない。だからこそ、神道には、「教えの団体」=「教団」は存在しない。教えられて従っている内は、自分の意思で自分の考えで動き出せない。これが私の理解。親も特に何も教えないが、日々の生活の中で、「六根清浄」=「目、耳、鼻、口、身、意を清浄」に保つ生き方、厳密には、こうした心を乱し尽くすような知覚情報や思考に触れても、自分の「心(魂)が穢れない」生き方を貫く中で、自然と「神道」の「行」について身に付けるに近い。教育(宗教)は学習なので集団で学んで当然。一方、神への道(神道)は、教室全員が皆で一気に辿り付くものでは無い。長い修業の果てに行き着くのは極わずかで当然。

神道とは「宗教での学び」の「実践課程」であり、「実践」については、個人が個人として学ぶしかない。学習には個人差があるし、夫々のペースで時間が掛かって当然。山修業も、祖父は一人か家族単位で行っていたが、一方、山での修業は非常な危険を伴うので、年に1~2度出向く程度で、たった一人で入山するのは余りにも危険過ぎるため、同じ志の人々が集まり、一緒に登って修業する体制が取られる場合は多い。教団ではなく、「講」と呼んでいるよう。私は、年に一度の特別な「講義(山修業)」に集まった人々という意味かと思っている。私の家では、当時は、家族単位や父の会社の取引先などの人々と大勢で登山参拝していた。その際に、「講」の行者の方々に度々出会った。

父の死後は、一緒に巡る人も見付からず、何度か田の原側の山頂神社へは参ったが、二ノ池、三ノ池を回って黒沢口へ降りるルートはずっと巡っていない。ただ、毎年、一年間、「六根清浄」を心がけて生きられたか、自分の心は穢れていないか、山へ行き「裁可」を仰ぐようにして来た。人を騙すような「悪意ある嘘」、人を傷つけるような「悪意ある行為」、悪事をして罪を認めず開き直る卑劣。こうした行為はご法度。もちろん、「嘘を吐かない」とは自分の真実を全て暴露する事では無い。嘘にも「良い嘘」と「悪い嘘」がある。「吐くべき嘘」もある。これは陰陽マークと同様、物事には、陰(悪)の中にも陽(正)の要素があり、その逆も然り。その「実践的」な人生の中で、自分の心が「清浄」であると神に向って言える生き方が出来たかが重要。その根底には、「神の在り方」として「自分が他人の幸せに役立てるか」という発想があるように思う。実社会で、その生き方を貫くのは相当に厳しい人生になる。信じていた人に裏切られ、何度も騙され、金を失うことも起きる。傷だらけで損だらけかも知れない。そうして善と悪の調和とは何かを考える。そして、だからこそ、多分、私の様に、余りにも酷い人間に対して「天罰」のような事が起きるのかも知れない。結果、それで、酷い人間の魂の成長に繋がるとも言える。全ては神に委ね、自らの魂を汚さない。だからこそ、1年に一度「神々の山」へ出向き、自分の生き方で問題無いか、自分の判断で正しかったかを確認に行く必要がある。少なくとも、私は、そういう思いで「木曽御嶽山」へ毎年出向いて来た。

神の山と言われる理由

他の人々も口にするので、私にだけでは無いようだが、木曽御嶽山は人を寄せ付けない。常に雲に覆われている。私の実際の経験では、1年間の生き方が「合格」の場合は、山を覆っていた雲がさぁーと消えて行き、青空と山頂の神社が見えるようになる。木曽御嶽山は、滅多に晴れない山とさえ言われている。7号目の田の原でさえ、雲に覆われている事が珍しくない。私も到着してから、8号目の「参拝所」へ行く途中までは雲が立ち込めている事もある。参拝所へ向かう途中から少しずつ雲が晴れ、参拝所で拝んでいる内に、急に雲が割れ、太陽が自分に降り注ぐ。そうなれば「許す」という意味と理解している。なので、毎年、ビクビクする。そして、毎回、山に向って、「折角来たので山頂を拝ませて頂きたい」と願う。すると、山頂を覆っていた雲が晴れて、青空と共に山頂の社が見えるので、山頂のお社を拝む。普段はバスで山を下りるまで、青空が広がる。

一方、「悪い事をした」年は、天気予報では「晴天」で、往路も地元の村辺りまでは晴れていても、山を登るにつれ天候が悪くなり、それでも登れば「来るな」と言わんばかりに雨が降り出す。それでも田の原へ上ると、今度は「汚らわしい。出ていけ!」とも言わんばかりに、急に「暴風雨」になり「雷」も落ちる。その天候の変貌には「恐怖」を感じることも少なくない。私は人生で2度、こうした状況に遭った。1度は、余りの暴風雨で、田の原の山道の入口にさえ近寄れなかった。当然「思い当たる事がある」ので、山に向って「ごめんなさい」と謝り、次の年まで、心して正しく生きる様努力する。私の場合は、母親にちょっと「嘘を吐いた」だけで「暴風雨」になる程、扱いが厳しい。また、「悪い事をしている人間」と供に行くと、同様に、「穢らわしい。来るな!」と言わんばかりに「暴風雨」になった事がある。その時は、私は問題無いので山に入れたものの、更に凄まじかった。

もう20年以上前だが、木曽御嶽への参拝の話をしたら、車を出してくれるとの申し出があり、お願いしたことがあった。8月の初夏まっさかり。当日は、東京では晴れ渡っており、木曽御嶽も地元の大滝村までは快晴だった。しかし、里宮を越した頃から天候が悪くなり、途中、ポツポツ雨も降って来た。私は、共に来た人が「悪い事をしている」のを内心知っていたので、「今日は参拝は止めよう。ここで帰ろう。」と提案したが、その人は「どうしても行く」と言って聞かなかった。 案の定、田の原に着いた頃にはかなり雲が立ち込めていたが、一旦雨も止んでいたので、私は「一人で参拝して来るのでここで待っていて欲しい」と言ったが、またしても「どうしても行く」と言って付いて来た。

すると、8号目の参拝所の途中までに、雨が大粒で降って来て、風も急に酷くなり、雷も鳴り出した。私としては、「悪い人間を連れて来た」ので「神様を怒らせてしまったか」と思いつつ、連れの人に「神様がいる」事を示すべきかとも思い、また、途中で戻ろうと言っても、「どうしても行く」と言って聞か無かったこともあり、そのまま一緒に参拝所まで行った。8号目の参拝所まで行ったことがある人なら解ると思うが、参拝所(遥拝所)入口には、雨避け場所の様な「門」がある。そこを通ると、3体の石の神様の像が立っている。取り敢えず、門の下のところまでは辿り付いた。

神道では偶像崇拝はしない

話が少し外れるが、昨今の木曽御嶽では、祖父の時代や私の幼少期の頃とは、諸々「考え方」が大きく変わったようで、「神道」であるのに、「神様の像」を参拝するようになってしまった。「神道」では、本来、「偶像は崇拝しない」というのが私の理解。なぜなら、神とは、本来、人間の形はしていないから。人間のイメージで「絵」を描く人は多いが、「神仏習合の聖地」である木曽御嶽では、本来の在り方として、「像」ではなく、紙片や木片や石に「神様の名前」だけ明記してある物で十分と思う。信仰とは、結局、霊としては「魂の修行」であり、人としては「心の修行」である。「形の無いもの(目に見えないもの)」を、そこに「存在するもの」として、「信じられるのか」が、ある意味「大きな課題」となる。例えば、「愛情」とは「形の無いもの」である。人間は、そうした「無形のもの」を、「信じられるのか」/「信じられないのか」の葛藤で苦しむ。そして、「形の無いもの」を「目で見える物(形の有るもの)」に置き換えて「愛情の度合いを図ろう」と必死に藻掻く。ところが、「形の無いもの」は「形の有るもの」には置き換えなど出来ない。そこで人と人の心が行違う。与えられるものと求められるものの違い。ところが、本来は、そもそもどちらも無い。それをどう判断するかが常に問われ、常に葛藤を繰返す。

結局、行き着くところ、自分が「信じる」のか「信じない」のかであり、「自分が愛されているか」も「自分で判断」しなくてはならない。占い師に相談しても解決などしない。仮に恋人が「愛している」と毎日何度も口にして、「自分の世話をしてくれた」としても、「欲しい物を買い与えた/与えられた」としても、それを「愛情」だと「信じる」か「信じないか」はあくまで「自分の問題」という事。「愛情」も「信頼」も、形としてはでは無く、ただそこにあるのみ。自分にとっても、相手にとっても、同様。だから、宗教では、「その「信じる心」を鍛えるために、目に見えない存在である神を信じろと説く。ところが、それは「有形である人間」にとって非常な困難な内容であるから、「教育段階」として、キリスト教や仏教やその他宗教などでは、「偶像を多用」する。実際には単なる「石や木での人の像」を目の前にし、そこに「神の力がある」と信じることで、人の愛情を「信じる心」の訓練をする。

それが宗教の意味であり、神道では更に「無」を信じる事を要求されるといえる。だから、神道では、当然、そのレベルは越えているか、越さなくてはならない。その象徴的な在り方として、神道では、偶像は崇拝しない。むしろ、してはいけない。ただ、「多神」であり夫々に「識別」は必要なので、「文字で神の名前を書く」に留める。その紙片や木片や石の塊を見て、人間に対して「神の力(形なきもの)を本当に信じられるのか?」を常に問う。神仏習合であるから、仏教系の神々(仏)には仏像はある。一方、純粋な神道の神々には神像は必要ない。だから、本来は、木曽御嶽の参拝所でも、神社であれば、文字だけの大きな石であるべき。そういう意味では、木曽御嶽山も、随分と「俗化」しものだと私は思っている。あそこだけは、もっと究極であって欲しい。

木曽御嶽での体験の続き

話が逸れたが、「悪い人」を伴って山に入った話の続きを続ける。当初は小雨だったし、参拝所までは付いたが、結局、参拝所の門へ至る数段の階段が、雨と風で全く進めず、近寄れないほどの激しい暴風雨になり、一歩進もうとすると、3体の石の像の間から風が吹き出し、大雨が「門」から噴き出すほどの激しさだった。同時に、空は引っ切り無しに「稲妻が走る」ほどの荒れ模様になった。仕方なく、暴風雨の中、参拝所に向って手を合わせ、一年のご加護への感謝を申し上げ、「今度は一人で来ます」と言い、また「穢れた者をここまで連れて来た」ことを、「ごめんなさい」と真摯に謝罪を申上げた。連れの人には私の側を離れないように言い(本人に雷が落ちるといけないので)、身を寄せながら、何とか田の原の駐車場まで二人で戻った。しかし、戻る途中も凄まじい荒れ様で、参道はひざ下まで水で埋まって道が消え、まるで急流の川の中を歩くかの如く、道が雨水で溢れた。傘も無いし、雨合羽も着てないので、二人とも下着までびしょびしょ。私は、「悪い事している人」を連れて来てしまったので、自分がびしょ濡れになっても「この程度は当然の処罰」と思ったが、連れの人は相当に恐れ慄いて顔が引き吊っていた。

それで、田の原の駐車場に着き、やっとの思いで車に乗り込んだが、乗った途端に、今度は、雹(ひょう)が降って来た。車のボンネットや天井がボコンボコンと大きな音を立てた。8月後半の真夏日で、その日は、本来快晴の日だった。山の天候は変り易いとはいえ、かなり大きな塊の雹(ひょう)が降る程だったので、私も流石に驚いた。怒らせてしまったようなので、兎に角、早く「立ち去ろう」と車を発進させたが、帰りの道路も、雨で急流のようになっていた。ただ、八海山くらいまで下ったころから雨も鎮まり、下山した頃には晴れ間が出ていた。東京に戻ってから、ニュースを見たが、長野で大きな雹(ひょう)が降り、リンゴだか農作物に被害が出たとか。私としては、自分が「悪い人」を引き連れ、一緒に山(神域)に入れてしまい、「山の神々」をかなり怒らせてしまったせいだと深く反省した。

それ以降は、万が一でも農作物に被害を出すといけないので、誰かと一緒に行くのは一切止め、一人で参拝することにしている。一度、観光バスでも行ったが、私が余りに「不可思議」なので、一緒に行ったお客さんに「恐れ慄かれて」しまった。母は心臓が悪く高山は一緒に行けないし、他の人に「変な人」扱いされ「怖がられる」のも嫌なので、ずっと一人で出向いている。もちろん、誰かと観光に行く場所でも目的でも無いから、一人で十分だが、それもあり山頂のお社へは久しく直接ご挨拶に伺えずに来た。私にとっては、「神への道(神道)」を歩む者(行者)として、1年に1度「生き方の矯正を受ける場所」に近い。

明治政府の廃仏毀釈を逃れた本来の神道の聖地

明治政府の廃仏毀釈で、本来、「神道は神仏習合」であるにも関わらず、神社と仏寺が完全に分離されてしまった。神道もまた陰陽説基づく。神社が陽であり、仏寺が陰。神社が神の世界であり、仏寺が人間の世界。根本概念として、世界とは、「神と人が供に居て一つ」というもの。陽の気も陰の気もあって初めて調和が取れる。同じ神様に、神道での呼び名と仏教での呼び名が存在するのも、実践と基礎でどちらも目指す所は一緒だからと私は理解している。明治以降、日本の神社仏閣は、こうした神道の基本概念を完全に無視した形で分離独立して行ったが、幸い、木曽御嶽では「古来の神道」がそのまま続いて来た。木曽御嶽とは、そうした「本来の神道」の体系の中において、基礎課程(宗教での教典による教育課程)を終わった「魂」が、「人間」としての「実践課程」に入り神への修行(神習い)を進めるに当たり、その行動や心の在り方を確認修正する為に、「1年間の裁可」を頂く場所。

だから、木曽御嶽には、毎年夏に例大祭があるが、それは神道の行者(人間)が「1年間の裁可を頂く」ために集まる日と私は理解している。なので、この日に山へ登るのが本来。今も多くの行者が人知れず集まり修業していると私は思う。少なくとも、私が幼少期の時は、そういう方々が「講」を成して修業に来ていた。私は「神道に教祖など有得ない」と思っているので、何らかの集団に参加するつもりは無いが、一方で、相当の熟達者でも無ければ、一人では絶対に行くべきでは無いし、一人や少人数であれば、地元の剛力さんに道案内を頼むべきと思っている。私は久しくそこまでの経済力は無いし、心臓も少し悪いので、8号目に参拝所で拝み、そこまで辿り着き、雲が晴れ、山頂が見える様に晴れたら「合格」として、もう何十年も登る機会を得ずに来た。

残念ながら、神仏分離して久しい。だが、本来は、神と仏で1セット。ここは、今後、元の神仏習合に統合し直す方向で再編成されるべきとおもっている。そうすれば、「教育系」の新興宗教も全て、神社庁(乃至は未来的に神社仏閣庁)の傘下に入り、「幸せになるべき」とか「魂として成長すべき」的な発想で、「教え」と称して、多額の金品や無償労働を提供させたりなど、詐欺か宗教か微妙な上、オウムのように「殺人」まで企てる様な「集団の形成」はかなり制御出来るだろう。本来の仏教や、本来の他の宗教の「本来」を学べる体制を再構築しつつ、誤った方向への暴走を止める必要が宗教には常にあると思う。


木曽御嶽には観光で行くな

それで今日、木曽御嶽の話をする理由であるけれど、日本人ならご存じの通りで、木曽御嶽山は2014年に大噴火し、70名近い人柱が立った(犠牲者が出た)。私は神様でも仏様でも無いただの人間なので、「自分を信じろ」などとは一切言わない。信じるのも信じないのも、その人その人の自由。ただ、ブログでカミングアウトしている通り、私には不思議な力があると思っている。思っているというより、あるとしか言いようが無いに近いし、木曽御嶽とは非常に縁が深いと思っている。

上述した様に、木曽御嶽は、山そのものが神社であり、特に田の原から上はそれ自体が「お社」であり「神域」と思っている。霊能者なら霊が見えるのだろうから解るかも知れないが、あの山では「神霊」だけでなく、神道の「行者」を経た「霊体」が多数存在している。私は、山道へ入った瞬間から「多くの方々の視線を感じる」し、何となく「戻りました」と言ってしまう。今時の所謂「パワースポット」的な「お遊び」感覚で行く場所では無い。神道は究極だからこそ、本来、厳しい。私の祖父も含め、そうした「精霊(神霊)」が集う場所であり、あくまでも「神道の修行場」である。適当に「運気アップ」程度の軽い感覚で立ち入る場所では無い。増してや、登山を楽しむなど有得ない。観光で行く場所では絶対に無い。

私が幼少期に巫女の伯母などから聞いた話では、10月の神無月には神様は出雲へ集結するが、それ以外は木曽御嶽にいるとか。三笠山様を含め、日本中の主要な神々が殆ど祀られている。もちろん、各地の神社には「御霊」が存在しているが、神霊の世界では「御霊分け」というのもある。この辺りは何が真実かは、私は「ただの人間」なので解らないが、他の霊山と異なり、日本のほぼ全ての神々が祀られている「神々の山」であると思っている。

私の理解では、神様にも大きく「管轄」があり、「人間の世界を取り纏める」のが「天照大神」であり、「神の世界を取り纏める」のは国常立尊を初めとする更に「先代の神々」。木曽御嶽は「神への修行」の山なので、国常立尊をお祭りしているが、そうした理由から「神の世界へ入る人間との結界」と理解している。伊勢神宮は「人間用」なので、観光でも良いし、参道には賑やかで出店が連なり、人間が参拝し易い様になっている。参拝には「年度」があると言われているが、基本的に、誰でも参って良い。一方、木曽御嶽は、基本的に、「神道の修行者ではない者」の立ち入りは許されないと私は思っている。なので、真摯に神に向き合い、神へ祈りを捧げる気持ちの無い人々が出向けば、場合によっては、それ以上先に進めないように山頂に雲が掛かり、濃霧や暴風雨になったり、雷や雹(ひょう)が落ちたりもする。最悪の場合は、骨折などの怪我や命を落とす場合もある。その他の霊場や観光地化した一般の神社とは、一線を介して別格の聖地だと思って貰った方が良いと思う。

木曽御嶽とは、そういう場所であり、山そのものが神体であり神社であり、特に田の原から上は「神域」であり、お社の建物の中に入るようなものと思う。当然、山中では、排尿排便など有得ない。どうしても我慢出来ない場合は、「神様に十分に体調管理して来なかった事を謝罪し、断ってから、地面に「和紙などを敷いてその上にする」のが礼儀。立ションなど以ての外だし「死にたいのか」と思う。大便の場合は、山頂の所定の位置(糞尿所=トイレ)まで我慢か即行下山。なので、朝食は少量。水も最低源で登山する。山頂で止まる場合も含め、半日から2日は、道中ほぼ絶食で絶水でも、十分に巡って行ける程度に、1年間掛けて、日々の生活の中で、足腰と身体を鍛える必要がある。健康にも留意し、規則正しく、きちんとした生活を送る必要もある。この点でも、通常の「観光登山」とは目的が異なる。神道では、他の「宗教」と異なり、集団で教育される事は無い。自分で遣るか遣らないかの問題。体調が悪ければ、自ら引くのも判断。こうした「心の在り方」を自らに問うための「登山」となる。

また、行者には当然だが、田の原から山道へ入ったら、「祈りの連続」になる。「祈り」とは「穢れを払う」ということ。そもそも山へ入るに当たり、入口で「入山の報告と許可を願う」必要があり、入口付近に神社の社が2つ並んでいるので、両方きちんと拝む。木曽御嶽では昭54年に休火山と言われていたが突然大噴火し、続く59年には地震も発生し、山が大きく崩れ、被害も出た。確か田の原山頂への道も一時閉鎖されたと記憶している。それで、8号目に参拝所が設けられた。当然だが、田の原山頂を目指すのであれば、参拝所で「御挨拶」するのが礼儀。他人の家に入るのに、玄関で「上がります」と声を掛けずに勝手に入れば、主人に追い払われても仕方ないのと一緒。これも、要は、心の在り方の問題。

そこからは、山道(参道)のあちこちに「社」があり神様が居るので(監視役)、一つ一つ拝んで進む。これも当然。先へ進む許可を頂く様な物。山に糞尿は基本禁止。ゴミを捨てる、汚いモノを置いていくなども絶対に有得ない。全て持ち帰る。お社や仏像や積み上がった石なども、一切、手を触れてはいけないし、足を掛けるとか、腰を下ろすなどは厳禁。これも「足を折られたいのか?」位の行為だと思って欲しい。当然、休憩の場合も、座る場所をよくよく考え、不敬な場所には決して腰を下ろしてはいけない。

田の原の奥には、二ノ池と三ノ池が続くが、その間に「賽の河原」と呼ばれる場所があり、石が積み上げられた墓碑がある。私は、これは、かつての「行者の墓」なので、足を掛けたり、腰を下ろしては絶対に行けないと教えられた。ふざけて崩すとかすれば、怒られて当然。足をくじく程度は覚悟すべき。三ノ池では、龍神様がお祀りされているが、行者の方が池に卵をお供えしたりしている。こうした供え物も触ってはいけない。私は幼少期に卵を柄杓ですくって壊した事があるが、すると、それまで晴れていたのが「一見にわかにかき曇り」の如くで、雲がすーと出て来て、対岸の切り立った山側が一瞬で見えなくなった。一緒にいた大人が、「龍神様からお叱り」なので、早く謝りなさいと言われ、私も寒気がする思いで手を合わせて謝った。

今時の人は、こうした現象を「偶然」で片付けるので、私の行動は単なるキチガイにしか思えないだろうと思う。しかし、本当にそこに「何らかの存在」が居たとすれば、どうする? 「偶然」だと思っているのは、貴方が単に「見えない」し「感じない」だけだとは思わないのかと思う。それで、帰りに山で転んで足を折って、それも「偶然」とするのであれば、それはそれだが、「何らかの存在」が「お前は二度と来るな」という意味で「怪我」をさせていたとしたら、本当にそうだったらどうする? だから、どちらなのか確信を持てないのであれば、自分の何気ない行為が山の者ども(神々や神霊)にとって、相当の不敬であり失礼になるかも知れず、結果、怪我や災難を受け兼ねないので、「やるな」という事は初めから遣らないということ。更には、そういう「信じない人」は初めから山に入ってはいけないという事。

私は「知っている者」なので、このブログを読んだ人には、クソだのキチガイだのアホだの異常者だの、散々、ボロクソ言われるかも知れないが、「中途半端な根性で立ち入るな」としか言い様が無い。全国の人々から誹謗中傷に遭うのは、2019年の崎谷健次郎、厳密には、「元妻の鶴崎江理子の虚偽告訴犯罪」際に、嫌と言うほど味わった。世の中は、何事も「偶然」で済ませてくれるので「逆に有難い」が、私は自分を一方的に攻撃した人々へ「修業させる」意味も含め、天の者どもに「適切なご処分を」と申し出た。最大の目的は、崎谷健次郎にライブを止めさせる事だったが、「偶然」とはいえ、直後から「コロナ」が流行った。翌年も、誹謗中傷で木村花さんが自殺。その後も、誹謗中傷が後を絶えない。関連性など証明出来ないし、単なる「偶然」と「思い込み」と「妄想」で片付けられるだろうが、世の中に「悪い人」が多いようなので、折々「こんな感染者数では足りない」と指示していた。誰がどういう運命を辿ったかは私は一切知らないし、私の祈念とは全く無関係かも知れない。だが、少なくとも、私は初めから「3年程度は」と伝えた。偶然にしろ、デマを流した三浦なにがしも詐欺で表舞台から消えた。あの事件から以降、誰にどんな被害や危害が起きても、私は心配することを止めた。台風も好き勝手に動けば良い。他人の誹謗中傷などに時間を割けない位に、その人の人生が多くの悲惨で忙殺されると良いだろうと思う。

2014年の木曽御嶽の大噴火

2014年の木曽御嶽の大噴火の際、私は1週間前の土曜日に山へ出向いた。この30年40年程、木曽御嶽は非常に大きく「俗化」した。地元の人々が「営利」目的で山を壊し続けて来たし、「神道の修行場」から「お楽しみのお山」になり「観光地」になって行った。その時も、多くの「単なる登山客」が沢山来ており、当然、行者でも信者でも無いので、入口の社では頭も下げず、8号目の参拝所には立寄りもせず通過して行った。私は、常々、木曽御嶽の「急激な俗化」については「腹立たしさ」を感じていたし、折々の「噴火や地崩れや地震」については、「山の者どもの怒り」の表現だと思って来た。2014年の参拝の時は、流石に、私でさえ「限界か」と思う状況だったので、参拝所で祝詞を上げた後、あの3体の像と山の山頂に向い、「皆様は、こんな事でどうされるのか? 皆様は神様であり、ここは神の山であり、修行場では無いのですか?」と問いかけた。

更に、「人間にここまで好き勝手に遣らせて黙っている必要は無い。好い加減、神としての力をお示しされると良い。これまでも何度も示して、あの程度では動かないのであれば、一旦、山を閉ざせば良い。山道(参道)も、かつての修行場の如く、大岩を越えるような険しい道に戻されよ。それよりも不要な人間をもう立ち入らせるのはお止め頂きたい。山を大きく壊せば良い。仮に人柱が立ったとしても仕方ない。」と言い、最後に、「皆様が何をしようと、それは私の責任で良い。だから、気兼ねなく、人間を追い出すように」と、ある意味、私が指図したに近い事を言った。

としては、閉山後に「人払い」が終わってから、再度の大噴火か地すべりで、観光用に歩道化された参道(山道)が崩れ大岩が落ちれば位に思っていたが、翌週、テレビを見て、非常に驚いた。私が「切掛け」を作ったかも知れないにしろ、単なる発言にしろ、直後に、あれほどの人柱が立つ(犠牲者が出る)とは思わなかった。しかし、それだけ、山の者ども(神々)も、長年相当に我慢していたかと思う。私と言う「詰まらない人間」に「指図された」事への怒りもあるかも知れない。それでは「お前が責任取れ」という事で、徹底的に遣ったとも感じている。これも単なる偶然であり、私が山に言ったことなど「単なる言葉」でしかないが、私としては、これまでの多くの実体験や自分の霊力を鑑みて、あれは「私のせい」だと思っている。

今回、こうした話をブログに公開する理由は、あれから数年経ち、再び、何も知らない「神道とは無関係」の人々が、観光やお楽しみで安易に山へ入ろうとするのを防ぎたいからである。同じことを繰返せば、再び、更に大きな犠牲が出る事態が起きる。これは私には確信に近い。

それに、当時、私は、田の原の「裏」がどうなっていたか、あの大噴火まで知らなかったが、何と、あの「剣が峰」に、山小屋というか山荘まで建築していたよう。剣が峰の上から下を覗いてお茶が出来る様な作りのようだった。噴石で壊れた山荘をテレビで見て、あんな物を作っていたことに衝撃を受けた。そもそも、剣が峰は木曽御嶽の最高峰であり、あそこでは最上に位の高い神様がお祀りしている。人間の糞尿の臭いがする山小屋など作るべき場所では無い。あそこは、辿り着ける者が辿り着けばよく、最高神だからこそ、お社は極めて質素で良い。木曽御嶽は、かつては、鎖で岩を越える程度の険しい山道を登り、更に、岩だらけの裏道を登り辿り着く場所だった。時間や天候や風向きによっては辿り着けない。木曽御嶽の山頂は猛毒ガスが散乱する場合があるから。そうした条件をクリアして、更に山頂へ辿り着いた先に「極めて質素」な「ほこら」の様な石の社がある。それで、この小さく質素な社に「神の力」が宿ると信じられるか?という問いを経て、そこで最も強い願いを伝え、信じることが出来るかを問われる場所。あんな宿泊所など不要。それどころか不敬。いつ出来たか知らないが、本来からすれば、潰されて当然。

木曽御嶽の山頂付近では、木製の社では猛毒ガスで直ぐに駄目になるので、基本、石で作ってある。更に言えば、木製の社など要らない。質素な石作りで良いから、そういう場所なのである。あの大噴火でようやく認知されたが、木曽御嶽では、銅製の銅像が真っ青になる位に始終猛毒ガスが立ち込める。田の原の山頂を左に進む参拝路があるが、硫黄の臭いが充満していて非常に危険。火山性ガスが噴出しているし、下手すれば、急に倒れて死亡も起こり得る。本来、神を祀っている霊山は「場所として危険」であるから、人間の立ち入りを禁じる目的もある。だから、あの山は、相当に修業を重ね、風の流れを変えられる程度の力が無いと、先へ進めないし、何より、神々に歓迎されないと進めない。女性も、妊婦などガスに当たれば奇形や流産の危険もあるので、かつては女性の山頂部への入山も禁じていた。その位に普通であれば立ち入ってはいけない場所である。

そのため、私としては、地元の人々が、なぜあんなに「安易に観光客を誘致」して来たのかが疑問だが、少し山の状況も落ち着いて来たし、コロナも収まって来たので、このまま誰も何も言わなければ、今後は、再び、安易に登山する人々が増えていくかと思う。結果、同じ事が繰り返されることも想定される。そのため、木曽御嶽の行者としては、二度と同じ犠牲が生じないよう、予め、ここに、あの山について、説明を残したいと思う。何も知らず、何も感じず、何も思わない人々には、「単なる山」でしか無いだろうし、私には、行動を制限する権利も資格も無い。しかしながら、修行をしていて、山を知る者としては、また、山の神々と近しい者としては、「神道の修行」の目的以外で、安易に立ち入ることは止めるべきとお伝えしておく。

 


来年は参拝したい

私は、来年は、久しぶりに山へ参拝に行きたい。2019年の事件以降、随分と強い「怒り」に包まれて生きて来てしまった。根底では「許し」ていても、自分の中で「穢れた思い」を多く抱えた。酷い事をした相手に「1000倍返し」なのは、私の意思に因らず起きるようだが、何があっても常に冷静に「鎮まり鎮まる事を司るべし」で生きねばならないのに、その禁を犯した。山へ行き、真摯に自分の未熟さを謝罪し、もっと良い人間でいられるよう祈念したいと思う。同時に、多分に「私による誘発」により、多くの犠牲者を出してしまったと深く反省しているので、山から下りれなかった方々へも含め祈りを捧げたいと思う。ただ、ここに私が説明した様な「神々の聖地」であることは理解して欲しいと思う。どうして「選ばれた」のかは解らないが、これまでの人間の行いに対して、相当の「怒り」を溜めて我慢されていた事もお伝えしておきたい。

今後、登山が再開すると、行とは無関係な人々が再び観光で訪れ、剣が峰の山荘も再開されるかもしれない。剣が峰は、長い悪路の果てに辿り着き、そこに「小さな粗末な社」しか無かったとしても、「最も強力な神」がいると「お前は信じられるか?」という「行者への問い」のためにある。極めて質素で、周辺も何も無い場所でなくてはならない。噴石でかなり破壊はされたが、まだ完全に壊れていないようなので、あれを完全破壊し谷底へ叩き落すよう祈念しなければと思う。地元の人々が、剣が峰の本来の意味を理解し、完全撤去してはくれないだろうから、地崩れを起こし、剣が峰に人が安易に近付けない様にしないとならないだろう。なので、営業再開して、人が「糞尿」をまき散らす状況になれば、再び何が起きて、犠牲者が出ると思う。なので、安易に、あの山に近づかないで欲しいと述べておきます。

 

木曽御嶽には、2014年のような悲劇を生まないために、人間としての「山の管理者」として「代々の神主」の方が居たと思うが、八海山スキー場は未だしも、木曽御嶽の観光地化に加え、剣が峰に「展望山荘」を作るような「有得ない無謀」をなぜ許されたのかと思う。

日本の神道は、明治以降の廃仏毀釈を経て、更に、戦後のアメリカによる「神道否定」の政策から、私が子供の頃は「神社にお参りに行く」と言うだけで「キチガイ」と言われるほど、神道も日本文化も全面否定される時代が続いた。昨今は、安易な誹謗中傷や虚偽告訴冤罪捏造など腐った連中が増えた一方、以前に比べれば、非常に多くの日本人が神社へ出向き、心の修行に目を向けるようになったと思う。本来の神道は、神仏習合。陰と陽。陽と陰で、心の調和を保つもの。善と悪の判断は常に極めて難しいし、慎重さを要求される。法律という点だけではなく、人としては、ある意味、全ての行動や発言にも常に「善と悪」が付き纏う。ここに向き合い、個人として自分の魂の成長を目指して生きるのが神道。「信じる」とは何か、自ら答えを見つける道が神道。木曽御嶽は、古来より、神々の山であり、神域としての「結界」のある場所。人が神に近づくための修行の場所。ですから、木曽御嶽に行かれるのであれば、目的は参拝のみ。その上で、もし参られるのであれば、自らの生き様について深く考え、自らの魂を鍛えるつもりで出向かれたい。

私がここにこんな事を書いても「なんだ偉そうにクソババア」としか思われないだろうが、木曽御嶽の神主の方々も地元の人々も、その基本に返り、「日本人を再生再興する志」を持って、「日本人として生まれて来た意味」を日本人が考え悟る日が来るように、木曽御嶽の神々と共に生きて頂きたいと思う。都会の様に一見派手で贅沢に見える生活が人の幸福とは限らないことに気が付いて頂きたい。その場所にはその場所の生き方があり、そうして生きる意味があるという事を思い出して頂きたいと思う。

最後に、私は、自分が「キチガイ」としか思えない事を言っているのを、一番良く理解していることは述べておきます。これまで、ボロクソ言われ、虐められたり、何か未来について懸念を言い「当たらないじゃないか」と占い師扱いされ、当たったら当ったで「怖い」と避けられ、更には、非難や無能呼ばわりも想定されるので、「何も言わない」ことが最善と考え、ただ私一人の修行の範囲で「何も言わず」に生きて来た。

しかしながら、私が変なのは変で仕方ないし、ある意味「神々」にとっての「霊媒」的な役割でもあるなら、私が学んで来たことについて、私が体験して来たことについても、述べても良いだろうし、述べるべきなのかもと思うようになりました。私が自分の利益を優先せず、木曽御嶽についても、神道的な「危険性」について積極的に情報発信していたら、お遊び半分と観光で人々があの山に立ち入る事は防げたかも知れず、結果、あそこまでの犠牲が出ることも無かったのではと思う。また、来年以降も、「まだ続きがある」と私が感じているし、剣が峰を元に戻したいと願っていることはお伝えしておきたい。それを踏まえて、真剣な参拝でもなく、お遊びで行かれるなら、それは構わないが、いつ何が起きたとしても私は止めようが無いので、覚悟されて行かれると良いと述べておきます。

もし、再び、ボロクソ誹謗中傷するなら、それはそれで構わないが、私のこれまでの経験から、遣られた事へのお返しは良し悪しに関わらず、大体1000倍で返すよう。相手の名前だの住所だの何も要らないし、遣られたことに個別に気が付く必要さえもなく、攻撃して来た人に、不幸と災難を貰らしてしまう様です。私としては、ほぼ100%であっても、まあ、単なる「気のせい」かも知れないし、だからと言って、相手が事故や大怪我や手術、近親者が死ぬとかもあるので、私から「実験してみる?」とは言え無いし、黙って見過ごしているしか無いが、崎谷健次郎と鶴崎江理子のせいで「全国的に無差別攻撃を受けた」し、今後も、そういう機会が増えるかも知れないので、実験の意味も含め、また迂闊に危害を加えないためにも、取り敢えず、諸々事前にお伝えしておきます。

 


神田明神への参拝

昨日、怨霊神社で名高い神田明神にお参りに行き、ついでに、崎谷健次郎が、今回こそは吉國一己と鶴崎江理子と完全に縁が切れ、心から自由を手に入れられるようにと祈念して来た。私との事以前に、崎谷健次郎が越えるべき課題だと思う。鶴崎の一人役員会社に所属契約しているから、縁を切る=音楽利権の全放棄を意味するだろう。崎谷健次郎と言う芸名の使用も法律的に禁止する事も出来る。自由になりたいと願っても、早々ふん切れる決断でも無いだろう。それでも、崎谷健次郎が、私と共に日本の名誉回復を目指す「もう一人の私」であるなら、「完全に縁を切る」という選択しか残されない。ただ、名前も含め全て捨てたとしても、実際には特に問題無い。私の所へ戻れば、別の名前の選択があるし、所詮、これまでの作品は廃棄で良いだろう。だが、簡単に結論は出せないと思う。これまでの人生を捨てるようなものだから。それでも捨てなければ、場合によっては、鶴崎と吉國が下手すれば命を落とすような結末も有り得るかも知れない。これまで、私にここまでの悪事を行ったものなど居ないし、これまでを考えれば不思議は無いかと思う。こちらは悪魔2匹の判断だろうが、結論と結末は変らないと思う。全て捨てたとすれば、崎谷健次郎も一時的に経済難だろう、私の霊力を受けるから、直ぐに「救いの手」が現れるだろう。問題は、それを信じられるかという事。お告げの様なものがあり「もうしばらく待つべき」ようなので、日本の名誉回復も諦めずに、今出来る事をコツコツ進めつつ、待っていようと思う。ここに諸々公開しておくので、彼らに「何かあった」場合は、誰か教えて下さると有難い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA