母が亡くなり半年以上が過ぎた

母が亡くなり半年以上が過ぎた

昨年8月8日に母が亡くなって、秋が来て、冬が終わり、桜も散った。母の納骨はまだ済んでいない。

あれから直ぐ仕事を始め、慌ただしく過ごして来た。母の最期の看取りも、また、とてつもなく過酷だった。あの時の状況を思い出す度に、パニック状態に陥っていた。今も考えないように努力している。でも夜は完全に一人。頭の中で突風が過ぎ去るまで一人で叫び悶える。今の時代は、親も友人も病院で亡くなる。私の母は自宅で逝く事を望んだ。出来る限りの努力はしたと思う。その後に、自分がどうなるかも解っていて、逃げなかった。私は常に逃げない。

この8カ月で多分6~7Kg位は落ちたと思う。夏にパンパンだったローウエストのジーンズがゆるゆるでハイウエストになった。近所のスーパーで食材を買おうとする度に、「今晩母と何を食べようか」と店を巡っていた事が蘇る。これも一緒に食べた。あれは母が食べれた。これは固くて食べれない。でも、今は食べれる。もう居ないから。食べる気が失せる。仕事場に行くから最低レベルは食べるけど、何も入らず寝るとかも続いた。痩せても仕方ない。私にはもう一緒に食べるどころか、食べろと言う人も居ない。

それでも8カ月経った。人生はどんどん先に流れる。ある方に「人生、好きな事をやって生きなさい」と言われた。だから、これからは自分の好きな事をやって生きる。私の人生で好きな事はたった一つしかない。当然、歌う事。それ以外は楽しく無い。だから、歌う以外の事は出来る限り他の人に任せて、歌う時間を作るようにした。他の人に任せるとお金も掛かる。食欲も無いから、食費を削り、その分を音楽へ回してる。それでも、人に頼むようになったら、少しづつでも形になって来た。有難いことです。

これまでは歌唱法の為に楽曲製作に時間を取られて来た。でも、これからは出来る限り歌に専念したい。いつか歌手として完成したい。志寿太夫さんは100歳、千八寿師匠も80歳位までは歌ってた。私はそんなに生きたくない。でも死ぬ前日まで歌っていたい。人生最後の日の歌が自分にとって最後の歌の日。そこへ向かって、好きな事=歌を歌って、楽しく生きるって決めた。歌を歌っている時だけ、頭から全ての苦しみも悲しみも消える。歌わないで生きて行けない。

 

今日はGW前でもあり、久々にブログを書いた。でも、また暫くは書く余裕は無いと思う。それに、以前と違って、誰かに自分の事を知られたくない。

過去の事も、もう囚われたくない。人生は先にしか続かない。もう終わった事を思い返して、嘆いても、怒っても、全ては「終わった事」でしかない。だからね。自分が楽しいと思う事をやって、楽しく生きるのが一番。

崎谷健次郎についても、もう終わりで良い。というより、自分としてはそもそも始まってもいなかったかも知れない。常にどっち付かずで、何を考えて何をしたいのか全く解らない人間なので、進みようも無かった。本当に「止まり続けた」と思う。

どちらにしろ、反日嫌日の韓国人と婚姻関係にあった人物だし、その後も「韓国女を神様の様にご信奉」されてる。韓国も朝鮮慰安婦とか「でっち上げ」の「大嘘吐き」だけど、あの男も「でっち上げ」の「大嘘吐き」だった。あの事件にしろ、その後の素行からも、どう考えても日本人じゃない。国籍は日本なだけで、「帰化した元妻」と同様に在日韓国人の出自でしょう。大体が、日本の韓国テレビ(ウリテレビ)直属の韓国エンタメ音楽事務所でデビューだし。在日じゃなくては音楽業界で生き残れない。

まあ、そう思えば、全て納得。韓国人に反省と謝罪なんて期待する方が間違っている。日本人なら、どんな理由であれ、自分が傷付けた相手には謝罪しに来る。韓国人なら、それ以前に、自分が悪い事をした自覚さえ無いだろう。日本では日本人の振りした在日の凶悪犯罪が後を絶たない。そいつらの人間性を見れば不思議は無い。最後まで自分が被害者のように振舞う。

超反日超嫌日の韓国人が紹介した人物だった。日本国籍のようだが実際には何人だか解らないので、どちらでも進めるよう選択肢を作って来ただけ。私は「過去の歴史を知っている人間」だから、韓国人とは音楽はやらないし、仲間にはならない。プロデュースなど頼む理由も無いし、頼んだ事は一度も無い。

 

私は音楽は純粋な日本人とやる。私の才能は日本人の音楽家の為にあるし、歌は日本人の為に歌う。国籍だけの韓国人に今後は関わる事も無いし、私があそこまで覚悟決めてやったから、二度と、警察を使って脅すことも出来ないだろう。

それでも、神様はとても正しいと思う。

自宅の前に住んでいた人間に、NYで出会って恋をしたのは事実。自分に完全にそっくりなのも否定出来ない。もし世の中にツインレイがいるなら、私のツインレイは崎谷健次郎だとしか言いようがない。だが、選りにも選って、何で韓国人なのかと思うが、やはりツインレイなんだろう。

あの事件では、本当に「完璧に役割を果して」くれた。私は、ある意味、「最も達成すべき課題」を、あのクソ馬鹿の「根腐れした行動」のお陰で、完璧に達成した。私一人では達成は不可能だったと思う。あの馬鹿があの役目をやった事が非常に大きい。非常に役に立った。そう思うと全て笑える。

私は神道の道にいる人間。いつか神になる事を目指して神に習って修業の人生を生きる。神習がら(かみながら)だから。当然、信じている。でも、手放しで信用している訳でも、信頼している訳でもない。信じて願うが、用いないし、頼らない。だから、時々、間違いの様に思える事を招いて、人間に選択させるような遣り方をすると思ってる。だから、何であんなのと、それもあんな異常な出会い方をしたのか、何の意味があるのか、自分の人生は間違っていたのか、ずっと悩んで来た。何故あんな事件になってしまったのかも。

でも、結局、あれは私が仕掛けたようなものだし、崎谷健次郎のキチガイのせいで、私は「神様からの大切な使命」を1つ達成した。それで、そこまでの役割なのかと思う。

 

神様は、私に、作曲家を与えたけど、あの馬鹿にも、私と言う天才歌手を与えた。双方に間違えるなと言う意味で、ああした出会いを演出してくれたのだろう。だから、私は、母にと同様、最善の努力はしたと思う。そして、私は歌手として完成したと思う。楽曲は他の人と一緒に作れば良いし、これまでのご褒美として、神様は別な作曲家を与えてくれるだろう。

でも、あの馬鹿男は、神様からのギフトを自分で放棄して自分で潰したのだから、二度と誰も巡って来ないし、このまま音楽業界の衰退とともに終わって行けば良いのだろう。どの道、もう声が出ない。仮に良い曲を作っても、中途半端な曲では売れない。マジな超難曲を歌える歌手など私以外に存在しないし、必然的に死ぬまで巡って来ない。それはそれで神様は正しい。人生の最後の最期まで、何も達成せず、後悔して生きるのも、魂としては大きな修行になる。それも人間の方の選択であり、その人に必要な修業を自分で選択したに過ぎない。こういう所も非常に韓国人ぽい。日本に散々やらせて全て奪い、戦後は大嘘吐いて金をせびり続け、結局、経済破綻してる。そのうち世界地図からマジで消えるのではと思うし。

 

私が達成すべき第1課題は、崎谷健次郎のお陰で、予想以上の成果を持って達成した。それ以上はもう何も期待してない。ツインレイだからと言って、離れる選択もある。私は一人で先へ進む。

私は、反省と謝罪の無い人間は嫌いだし、縁を切った人間に、特に謝って欲しいとも思わない。むしろ、もう謝らなくて良いと思う。謝罪に来たら、神道の人間は「許さなくてはならない」から。だから、関わらないためにも、謝罪に来て欲しくないし、他の土地へ行けるよう「伴侶」も見付けるつもり。一生に一度で良いから、花嫁衣裳を着てみたいんでね。

これまでも実質全く関わって来なかったし、これからも関わらなければ良いだけ。このまま完全にFADE OUTで、やがて記憶からも消えるんだろう。ずっと見てないから、それ以前に、もうずっと前から、実は、顔も良く覚えてない。道で会っても私には良く似た人?程度しか解らない。Out of sight, Out of mind.

私には、歌唱法の普及もその一つだが、それ以外にも、次の更にもっと大きな課題がある。達成できるかは別として、達成する方向に最善の努力をしなくてはならない。自分の最も好きな事を続けることが、達成への唯一の道と思う。

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