大切な人の死

大切な人の死

大切な人がまた一人逝ってしまった。外出時に心臓発作だったよう。多分病院まで持たなかったよう。私も心臓発作で死に掛けた事がある。気持ちが悪いなと思った瞬間に意識を失う。私は病院で医者の目の前だったから戻って来たけど、道で倒れていたら、そのまま逝ってたと思う。

私はキリスト様でもお偉い宗教家でも無いから、自分を信じろとか言わないし、誰も私の言う事を信じなくても良い。でも実際問題として、自分に嫌な事をした人に悪い事が起きる。実は、今回亡くなった人も、私にちょっとした事をした。ちょっとした事だけど、私には「それは余りに酷い」という事だった。なので、それから暫く距離を取っていた。少し怒ってもいた。それでも、最近ようやく、その人にも、そういう事をしてしまった事情があったように思い、折を見て電話しようと思っていたところだった。

私の人生は、生まれた直後から神道の行者として修業している様な人生と思う。大人たちには神様が付いてると言われていた。本当かは解らないにしろ、物心ついた時から、自分に酷い事をする人に大きな不幸が訪れる。少しでも怒りを感じた人間に、悉く何かしら起きる。それを何度も目の当りにして怒るのが怖くなった。ついでに、自分に良くしてくれた人には、滅多にない幸運が舞い込む。私が働いていた時はどの会社もとても栄えるし。急に大口の仕事が降って湧いて来る事も自分にとっては当然。そんな人生だから、私は自称でも霊力者だと思ってる。悪い奴を自分の力で栄えさせることは絶対にあってはならない。悪い奴や悪い嘘を吐く奴とは縁切って生きてる。人との付き合いも非常に気を付けている。

今回はその人をちょっとだけ怒っていた。でも、もう少ししたら仲直りしようと思っていた。そうしたら、突然亡くなってしまった。偶然と言えば偶然。それでも、以前、変死体で見つかった人も居る。子供が2人とも障害者になった人もいる。交通事故、怪我も普通。自分が怒っていた相手に不幸が起きると、自分のせいの様な気になる。だから常に怒らない様に心を鎮め切って日々冷静に生きるよう最大限の努力をし、少しでもいら立ちを感じる自分を責めるようにして来た。

でも、ちょっと禁を破ったら、こうなった。亡くなって、結局、私は哀しくて大泣きしている。私が見捨てなければ、こんな風にならなかった気がしてしまう。実際そうだと思う。悪い事をしてしまった。もっと優しくすれば良かった。大事な人だったのだから。こうして大泣きする程、大事な人だった。

それで、私は、今回の事で、少し自らを反省した。

私は2019年の事件以降、厳密には2017年のストーカーでっち上げ事件以降、崎谷健次郎と元妻の鶴崎江理子、弁護士の田瀬、冤罪捏造をやった本庁と渋谷警察の刑事、フジテレビ、PC、私を夜中に車で引き殺そうとしたクソども、その裏にいる韓国系勢力、全員に対し、未だかつてない程に怒り狂って来た。身体から天に昇る程の炎が立ち上がっているような位に。人生で最も怒っているかも知れない。今のところ、これと言って「死んだ」とか「知らせ」が無いから、私と共にいる神々が、悪人が少しでも心を改めるように、厳しい修練を与えている最中かと思う。誰がどうなっているかは分からないが、フジテレビは韓国の出先機関と日本中からバッシング。さっさと潰れれば良いだろう。PCも韓国韓国だったが、終にK-popも世界的に潰滅。日本でも嫌韓が普通になった。韓国は政治危機で消滅の危機。国交断絶から韓国消滅すべきと思っている。近い将来、その通りになるだろう。

私がもし冗談じゃなく何か強い力があるなら、こうした流れを生み出すには大いに役に立っているかも。その流れは変えようが無いし、変えるべきではない。我々日本人は、日本を自分達の手に取り戻す。韓国人が自らを改める事は無い。口先では何とでも言うが、彼らは変らない。なので、国ごと消滅するが良いと思う。日本が戦争に巻き込まれる危機から脱するには、最も戦争リスクの高い韓国と手を切るのが最良の方策なのは明らか。

ただ、今回の事を反省して、私は崎谷健次郎を許すことにした。

亡くなった人もそうだが、人間は弱い。心根が弱い。それを忘れていたように思う。だから、私は、その人が自分から謝罪してくるべきと思っていた。謝罪して来ないから、怒っていた。それで、結局、最期まで、謝りに来なかった。来なかったというより、来れなかったと思う。本人が何を私にやったか解っていて、悪いと解っていて、謝る勇気が無かったのだろう。その弱さを忘れていた気がする。だから対等に見て怒っていた。

 

私は、非常に霊力が強い。一日一緒に居れば、相手の人間性は解る。吉國など一瞬で見破ったし。だから、崎谷健次郎の事も解っている。鶴崎や吉國に、私をストーカーにでっち上げ警察へ行かないと、私の方から被害届を出されると脅されたかも知れない。実際、ストーカーしていたのは崎谷健次郎で、警察では証拠隠滅し冤罪捏造されたが、検察では崎谷健次郎の有罪の証拠が暴露され、私の無実は証明された。私が検察官に刑事告発を望めば、そのまま実刑だった。虚偽告訴迄しているから。ただ、ごく普通の弱い人間でしかない。私を陥れてでも芸能界に残りたいという欲が出ても、普通のどこにでもいる唯の人間だから、特に不思議は無い。

私は、幼児期から神道の行をしているような人間だし、我が家の人間は非常に強固だったと思う。誰かに謝らなくてはならないような生き方をしないし、悪い事をしたら、何年経っても、謝りに行く。自分でも竹を割ったような性格だと思っている。ぐじぐじ悩むとかは本来ない。相手に気を遣って、どっちつかずの状態に耐えることはあるが、結論が出たら、即行早い。結構、ばっさり切るところもある。

だから、折々、何で、そんな事も出来ないのかと思ってしまう事は正直多いが、基本的に、誰かが自分のように生きれるとか期待してない。人は人。私は私だから。ところが、時々、今回の様に、相手に「この位は常識だろう」みたいに思う事があり、裏切るような真似をされて、腹を立ててしまう事がある。2017年、特に2019年以降は、怒りまくっているので、人に対して、厳しくなっているのかも知れない。

でも、それは自分が間違っている。自分の様に強い人間ばかりじゃない。というより、皆な弱い。崎谷健次郎も十分弱い。特に頭が良い人間でも無かったし、ごく普通のどこにでもいるタダの人。だから、悪意を持って私を陥れようとしたというより、気が弱すぎて、周りにクソ女どもに色々言われて流されたという所だろう。意志の力の弱い人間というのも世の中普通に多い。強く言われて逆らえない人間の方が多い。今回の事で、その弱さを、神の道を歩む者としては、責めてはいけないように思うようになった。私は、そもそも、自分の事にガタガタ行ってくる奴、特に「貴女の為だから」とか言って来る奴は、必ず魂胆があるやつだから、さっさと切ってしまうかな。

「自分の意志で、自分の道を行け」とか願っても、出来ない人には出来ない。それは本人がそう強く心に決めて、腐った連中を叩き切ると決めて初めて、出来るようになること。謝れと言ってみても、精神性もまだまだ、人間としての成長もまだまだ、弱ければ、そもそも出来ない。怖くて出来ない。それが普通の人間。私は、それを怒っていてはいけない。

「復讐するは我にあり」で、神々が、夫々の悪人に対し、悪事に見合った苦行を与えてくれるだろう。それは上の者どもに任せる。私は、弱い人間に怒りを抱えるのは止めるべきと思う。何人かは死を持って罪を償うことになるだろう。それを知った時に、私は自分の心に怒りを持っていたくない。

そして、結局、崎谷健次郎は私の生き写しの様な人間である事は否定出来ない。もちろん、弱いし、馬鹿だし、自分の未熟な昔を見ているようだけれども、神様が、あんな不思議な巡り会いを演出したのにも何か理由があったのだろう。結局、怒りも愛情の裏返しに過ぎない。崎谷健次郎が死んだとしたら、私は結局泣くんだと思う。自分より遥かに弱くて馬鹿でも、もう一人の自分であることには変わりはない。私は嘘は吐かない。嘘を吐かなくてはならない弱っちい人間ではないから、事実は事実として受け入れるしかない。

私は非常に意志の力が強い人間。自分の道は、自分で切り開く。誰かに頼る気は無い。これまでも仕事場でも、完全に他人の中で、ゼロから、実力でのし上って生きて来た。誰かに頼ってのし上ったところで、実力が無ければ直ぐに終わる。敢えて苦しい道を選んででも、実力で這い上がるさ。こんなクソと思いながら、惰性で従う事はしないから。貧乏な時も当然あるし、ご飯が食べれない日もある。それでも、そうして一人で平気で生きれるくらい、私は強い。だから、崎谷健次郎を許すことにした。

音楽をやるのであれば、音楽家など世の中腐るほどいる。私の才能を愛してくれる音楽家と、自由に音楽をやって、楽しく生きて行けばいいだけ。音楽をやるという目的に、正直、崎谷は必要ない。私も作詞作曲はいちおう出来るし、他の作曲家が作った歌を歌えば良いだけだから。単にお金を払えば良いだけの問題。

許すが、私から何かを働きかける事はない。許すとはある意味、切ることでもある。自分の意志で、自分の人生をどう選び、自分の幸せが何であるかを決めるのは、崎谷健次郎の人生の課題。私がその課題の消化を手助けすることはあってはならない。どの人も一人一人に課題がある。自分で切り抜ける力は、自分で切り抜いてこと付く。それが神道の行者の生き方。自分と神のみ。全て自分で判断する。だから助けてはいけない。

私は、日本に、日本人の音楽を復活させたい。アメリカ過ぶれと外国の真似とかじゃなく、日本独自の文化に根差した日本人の音楽を日本に取り戻したい。私は自分の才能をそうした活動に少しでも生かしたい。崎谷健次郎とは関係ない。私は我が道を行くのみ。

久しぶりに歌をアップ。

この歌は中学の時、バーブラ・ストライサンドが映画で歌っているのを聴いて、凄いなと思って、いつか歌えるようになりたいと思ってた曲。

歌えるようになったと思う。今となると、それほど難しい歌でも無くなった。音域は広くないが声を出すところが多くて歌っていて気持ちがいい。

人前で歌が歌えるように、来年はライブ活動を再開したい。歌が歌いたくて仕方ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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